この場に立っている者はフクとサヤシの2名のみ。
他の帝国剣士はオダも含めてみな倒れてしまっている訳だが、
その内のハルナンが死んだフリをしているという事実は、見届け人たちにもバレていた。
いくら気を失った風を装っても、勝利に対する執念までは隠せなかったのである。

「なかなかの胆力ですね。普通は私たちのような大物に見届けられたら、最後まで堂々と戦い抜くものですけど。」

マノエリナの声は皮肉のように聞こえるが、これは心からの褒め言葉だった。
どんな状況でも勝利のためなら泥を平気でかぶる精神を評価しているのだ。
その反面、厳しい意見も同じように飛び出していた。

「でも、ここからの逆転劇は期待できなさそうですよね。」

マノエリナの意見はもっともだった。
Q期側も満身創痍とはいえ、まだサヤシには普通に戦えるだけの余裕がある。
フクが動けないことを考慮に入れても俄然有利だろう。

「マノちゃん、まだ分からないじゃないか!ここから気合を入れて超パワーで相手を投げ飛ばせば……」
「それはマイミさんだから出来るんです。彼女には無理です。」
「う……」
「断言しますよ。天変地異でも起きない限り、天気組の勝利はあり得ません。 命を賭けてもいいです。」
「そんなに言うかぁ……」

マノエリナの言うことは極論ではあったが、マーサー王とサユ王も概ね同じことを感じていた。
そして、Q期が勝利に近いことはフクとサヤシも理解していたし、
何と言ってもハルナン自身がそうとしか思えていなかった。
全身から滝のような汗を流しながら、ハルナンは思考する。

(どうすれば……どうすれば私は王になれるの!?)

此の期に及んで、ハルナンには勝利するビジョンが描けていなかった。
ここで立ち上がろうとも、このまま死んだフリを続けようとも
サヤシに捕まって終わるイメージしか出来ていないのだ。
とは言え全くの無策という訳ではない。
ただ、「それ」が叶うための事象が発生する確率が限りなく低いのである。
決闘前、作戦を練る段階では「それ」はほぼ確定的に起こりうるものだと信じていたのだが、
ここまで来てもまだ来ないために、ハルナンの焦りが加速していく。

(どうして!?どうして来ないの!?……絶対に来るって信じていたのに……)

絶望に打ちひしがれたハルナンは、死んだフリの最中だというのにもかかわらず、天を仰いでしまった。
もうどうとでもなれと、ヤケになったのかもしれない。
ところがその時、ハルナンの頬へと朗報が舞い降りてくる。

「きた!!!!!」

突然ガバッと立ち上がったハルナンを見て、一同は驚いた。
戦闘中とは思えぬ喜びように、何が何だか分からなくなってくる。
そんな周囲の反応も構わず
ハルナンはフクを指さし、見栄を切る。

「やっと来ました。王の座、もらいます。」



◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ 



ポツリ、またポツリと水滴が落ちてくる。
それが雨粒だと気づくのには時間は要らなかった。
何故ならば、天候は10秒も経たぬうちに集中豪雨へと変わっていったのだから。

「な、なんなんだこの雨はっ!」

雨どころか強風も伴う暴風雨に打たれたことにサヤシは驚きを隠せなかった。
この訓練場の天井は以前クマイチャンがぶっ壊したために、雨風を防ぐ機能が失われていたことは知っていたが
こうも急に天気が変わるなんて異常にも程がある。
よりによって大事な決闘の時にこんな悪天候に見舞われるなんてとんだ災難だとも思ったが、
Q期の将、フク・アパトゥーマはこれが必然であったことに気付き始めていた。

「……そうか!なんで今まで忘れていたんだろう。」
「フクちゃん!?」
「サヤシ気をつけて!この雨は仕組まれている!!」

フクが叫ぶ位置から少し離れたところ、
見届け人の席ではマイミとマノエリナがバツの悪そうな顔をしながら俯いていた。
サユは自身の上着を動けぬオダに被せると、2人に対してチクリと言い放つ。

「この雨、あなた達のせいでしょ。」
「あぁ……」「おそらくそうかと……」

サヤシは知らなかったようだが、マーサー王国のマイミとマノエリナと言えば超のつくほどの雨女として有名だった。
それは迷信や噂話といったレベルを遥かに超えており、
催し物を延期させたり、移動の足を止めたりすることはしょっちゅうだ。
そんな雨女の2人が見届け人としてやってきたのだから、本日の天気が豪雨になることは決定付けられていたのである。

「そして、あなた達ふたりを見届け人にするよう扇動したのは……」

そう、こうなるように仕向けたのは他でもないハルナンだったのだ。
敵に対して有利に振る舞うには「地の利」を生かすことが鉄則ではあるが
決闘場が誰もが知る訓練場であるためにそれを有効活用することは難しい。
ゆえにハルナンは「地の利」ではなく「天の利」を生かすことを考えたのである。
今こうして雨が降ることはハルナンのみが知っていた。
これからハルナンは誰よりも有利に立ち振る舞えるのだ。

「でもっ!この雨の中じゃあハルナンだって上手く戦えんじゃろっ!」

息も出来ないほどの豪雨。しかも足場も悪いので少し歩くだけでも転倒しかねない。
普通の戦士であれば剣を振るうことすら困難なはずだ。
しかし、ハルナンには自分だけがただ一人動くことの出来る確固たる自信が備わっていた。

「私を誰だと思ってるんですかね……天気組の『雨の剣士』ですよ?」



◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ 



雨の剣士という通り名は、決して雨天に強いからという理由で付けられたわけでは無い。
敵の身体部位を機能停止させるほどに斬りまくった結果、
そこから発生する血の雨に由来していたのだ。
なのでハルナンも他の剣士同様に荒天ではパフォーマンスが落ちるはずなのだが、
今日の彼女の動きからはそれを全く感じさせなかった。

「サヤシさん、あなたさえ倒せば実質的な勝利なんですよ!」

大雨で足元の悪い中、ハルナンはまったく滑ることなくスイスイと前進していっている。
ただでさえ瓦礫の上は動きにくいというのに、そこに雨水も加わった状況でこうもスムーズに動けるのは異常だ。
訓練とかでどうこう出来るレベルを超えている。
まるで特殊能力者のように振る舞うハルナンを前にして、サヤシは焦らずにはいられなかった。
だが、それでサヤシが圧倒的に不利だと決めつけるのは早計だ。
何故ならサヤシとハルナンの実力には大きな開きがあったからだ。

「ウチは負けない……ハルナンの攻撃の威力はだいたい分かっちょる……
 ガチンコでやったら負けるはずがないんじゃあ!!」

サヤシは己を鼓舞するかのように叫びだした。
この足元の悪さではもはや一歩も動くことは出来ないが、
幸いにも敵であるハルナンの方からこちらにやってきていた。
ならばやるべきは模擬刀と模擬刀のぶつかり合い。
となればいくら雨が降っていようと、剣術に長けているサヤシが有利に違いない。
非力なハルナンの斬撃を受けながら、強烈な一撃をぶっ放せば良いのだ。
サヤシは、そう思っていた。

「まだ分からないんですか?サヤシさん。」
「!?」
「私の繰り出す攻撃は、全てが必殺技級の威力に変わるんですよ。」

ハルナンはサヤシの左肩を、コン、と軽く小突いた。
普通であればなんともない攻撃だ。
むしろ攻撃とすらみなされない行為かもしれない。
しかし、今は状況が異なっていた。
雨水で踏ん張ることの出来ないサヤシはただそれだけでバランスを崩してしまい
大袈裟に転倒し、顔面から地面に落ちてしまった。
それもただの地面ではない。尖ったものがたくさん転がる瓦礫の山にだ。
こうなれば、サヤシの顔は血まみれのグシャグシャになってしまう。

「あ……ああ……」
「女性の顔を潰すのは心苦しいですね。だからサヤシさん、そのまま寝転がることをオススメしますよ。」



◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ 



転倒による顔面への強打は痛いなんてものではなかった。
出血量も尋常ではなく、雨水で流される暇もなく溢れかえっている。
ただ肩を軽く叩かれただけでこれだけの大怪我を負わされたため、当然サヤシはパニックに陥る。
ハルナンはその狼狽っぷりを見て満足したのか
くるりとフクの方を向いて歩きだしてしまった。
おそらくはサヤシにやったように、フクも滑らして転ばすつもりなのだろう。

(今のフクちゃんが転ばされたら……もう起き上がることは出来ない!)

サヤシはパニック状態にあるものの、仲間の危機についてはなんとか察知することが出来た。
先ほどハルナンは「寝ててください」などと言っていたが、そんなこと出来るはずもない。
例え自分の顔が傷つこうとも、血液を大量に失おうとも
フク・アパトゥーマの刀として働く使命だけは果たさねばならないのだ。

(背後からやるしかない!ハルナンを斬るんじゃ!)

サヤシは上半身を起こし、この場を去ろうとするハルナンには向かって斬りかかった。
不意打ちではあるが、真剣勝負に卑怯もへったくれもない。
悪いのは相手の状態もろくに確認しないまま背を向けたハルナンの方なのだから。
……と、サヤシは思っていたが
このすぐ後の行動でその認識を改めることとなる。

「やっぱりそう来ますよね。」

なんとハルナンはサヤシの方へと身体の向きを戻し、
低い体勢から攻撃を仕掛けるサヤシの額を強く踏みつけたのだ。

「がっ!!……」
「寝てるわけないですもんね。サヤシさんのストイックさ、本当に感服します。」

『サヤシは必ず起き上がって奇襲をかけてくる』
ハルナンはそう予想していたからこそ、このような行動を取れていた。
サヤシは逆境に立てば必ず死に物狂いで立ち向かってくると、心から信じていたのである。
そして、この時ハルナンが見せた凄技は行動予測のみではなかった。
この滑りやすい環境で、一時的とはいえ蹴りのために片足で立っていたことが既に妙技なのだ。
これにはマノエリナも不思議がる。

「あのバランス感覚はいったい?……まるで雨天の戦いに慣れきっているような……」

マノエリナの発言がヒントになったのか、サユ王は何かに気づき始めた。
そしてマイミの方を向き、自身の考えを述べていく。

「ハルナンはこの一ヶ月間のほとんど、マイミと行動を共にしてたのよね?」
「その通り。訓練中も防衛任務中もずっとついてきていたな。」
「その期間のマーサー王国……いや、マイミ周辺の天気はどうだったの?」
「……言わなくてはダメか?」
「言って。」
「毎日が雨天の連続だ。」
「やっぱり。」



◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ 



名目上では、ハルナンは罪を償うためにマイミの側につくということになっていたが、
彼女の本当の狙いは「雨に慣れる」ことであった。
超がつくほどの雨女であるマイミの近くにいれば、必ず豪雨に見舞われる。
戦闘中だろうと、食事中だろうと、睡眠中だろうと、雨女パワーが弱まることは無いのだ。
そうすることによってハルナンは雨水にも耐えうるバランス感覚を身に着けようとしたのである。
……とは言っても、四六時中すべてが雨という訳には流石にいかなかった。
今日この日だってハルナンを焦らせる程度には晴れ続けていただろう。
いくらマイミが雨女でも、せいぜい降水確率を大幅に上げることくらいしか出来ないのだ。
ところが、ハルナンは晴れの日にだって雨の経験を積む作戦を練っていた。
それは「マイミの台風のようなプレッシャー」を浴び続けることだった。
マイミが臨戦態勢に入るとき、まるで暴風雨の如き重圧を発することは
アンジュ王国の番長タケやカナナンが身をもって経験している。
特にマイミはハルナンのことを自分を騙した敵だとみなしていたために、
瞬間最大風速計測不能級の台風のようなプレッシャーを絶え間なく放ち続けていた。
それを至近距離で常に浴び続けたのだから、そんじょそこいらの雨に当たるより良い経験になったろう。
正直言って、負傷した身体で緊張し続けることは吐くほど辛かったし、
キュート戦士団の他の4名それぞれから受けたプレッシャーも苦痛だった。
気が狂いそうになった。逃げ出したい衝動に何度も駆られた。
だが、ハルナンはなんとか耐えきったのだ。信念だけは貫き通したのだ。
最終的には、あれほど敵意を抱いていたマイミから認められた程だ。

「雨が降り続ける限り、私は帝国剣士最強です。これは傲慢でもなんでも有りません。事実です。
 サヤシさんよりも……そして、フクさんよりも強いんですからね!!」

ハルナンはフクをキッと睨みつける。
豪雨が邪魔をしてその時のフクの表情はうまく読み取れなかったが、
相当に焦っているということは容易く理解できた。

「動けないんですよね?そこで黙って見ててください。
 サヤシさんにトドメを刺したらすぐに向かいますから。」



◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ 



またか、とサヤシは思った。
格下扱いしていた相手に出し抜かれるという構図は、
一ヶ月前にハル・チェ・ドゥーにやられたのと全く同じ。
自分があまりにも成長していないため、落ち込みかけてしまう。

(いや、今は落ち込んでる場合じゃない!)

サヤシが思う通り、ここで落胆しても何も始まらなかった。
もしも諦めればハルナンはフクのところに行くだろう。
このハルナン圧倒的有利の環境で一対一の状況を作るのはまずい。
悔しいが、そうなればフクは長くは持たないだろう。
だからサヤシはここでハルナンを止めるしかないのだ。

(仕留める……までは出来んじゃろな。
 ハルナンは強い。ウチはまだ未熟……ちゃんと認めよう。
 じゃけど、削ることなら出来るはず!!)

サヤシは己の額を自ら地面に叩きつけ、
破片だらけの床であることもお構いなしにグリグリと擦り付けていく。
出血する傷口を更に痛めつけるのには理由があった。

「ウチの十八番は居合いだけじゃない!ダンスもじゃ!!」

サヤシは接地したおでこを起点にして、逆立ちするように両脚を上げていった。
これはヘッドスピンと言われるダンスの技。
本来は平らな床の上で行われるものではあるが、頭部を軸にして高速の回転力を発生させることが出来るのだ。
サヤシは自らが負傷するほどのリスクを負う代わりに、ハルナンに蹴りをぶつけようとしたのである。
ハルナンもサヤシが何かするとは思っていたが、それがダンスの技とまでは想像していなかったので
至近距離でサヤシの回転を受けてしまう。

「ああっ!!」

人間一人分が勢い付けてぶつかってきたので、ハルナンは耐えきれず転倒してしまう。
いくらハルナンが豪雨の中でも転倒しないバランス感覚を身につけたとは言え、
蹴りを受けても転ばない訓練をしてきた訳ではないので、当然の結果とも言える。



◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ 



転倒した結果、ハルナンは背中を強く打った。
それだけで呼吸が困難になるほどに苦しいし
その上、細かな破片が突き刺さったのか、あちこち出血していることも分かる。
自らが仕掛けた瓦礫だらけの戦場で、自分が傷つくとは皮肉なものだ。
なんとか意識を保ってはいられたが、もう少しサヤシの攻撃が重かったら正直言って危なかっただろう。
サヤシが小柄で細いのが幸いした。
今よりもう少しウェイトがあって、ポッチャリしてたら勝負は決していたのかもしれない。
それだけハルナンはギリギリだったのだ。
だが、そんなハルナンにもそれなりの成果は得られたようだった。

「あれ、サヤシさん……ひょっとして気を失ってます?」

ハルナンの目の前には、頭部から多量に血を流したサヤシが横たわっていた。
おそらくは出血多量と激痛に耐えきれず、気絶してしまったのだろう。
最後の強敵と思っていたサヤシがこうもあっけなく倒れたので、ハルナンはにやけそうになるが
ここは気を引き締めて、冷静に対処することにした。

「ちょっと分からないので、確認させてもらいますね!」

ハルナンはわざと大きな声を出しては
立ちあがって、サヤシの横っ腹を強く踏みつけた。

「念のためもう一発!」

一発と言っておきながら、ハルナンは二発、三発、四発もサヤシを蹴飛ばした。
この行為にはサヤシの安否を確かめるという理由の他に、
Q期最後の生き残りであるフク・アパトゥーマを刺激するという意味も込められていた。

(私の知っているフクさんは仲間を足蹴にされて黙っていられる人じゃないはず!
 さぁ!そのズタボロの脚でここまで来てみてください!!)



◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ 



激昂したフクが瓦礫と豪雨に手こずっているところを叩くのがハルナンの勝ち筋だった。
味方であるサヤシがこんなにも酷い仕打ちを受けたのだから、
仲間思いのフクならいてもたってもいられなくなるだろうと考えていたのだ。
ところが、フクはハルナンの思った通りには動かなかった。
サヤシを幾度と踏みつけても、彼女は元の位置を離れようとはしない。

(おかしい……いつものフクさんじゃない?)

これ以上サヤシをいたぶるのが無駄だと感じたハルナンはすぐに攻撃を停止する。
サヤシが戦闘不能だというのは十分すぎるほど確認できたので、
黙りを決め込んでいるフクの方へと自ら向かうことにする。

「リスクを冒さないと利は得られないってことですね…
 分かりました。長い長い戦いに決着をつけに行きましょう。」

降りしきる大雨の中、ハルナンは敵将フク・アパトゥーマの元に一歩、また一歩と歩みを進めていく。



◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ 



視覚的な情報が雨で遮られていたため、ハルナンは黙するフクを脅威に思っていた。
ところが実際は恐れることなど何もなく、
当のフクはただただ泣きそうな顔で絶望に打ちひしがれているだけだった。
まさに杞憂も杞憂。
限界を迎えた脚が本当に言うことを聞かないため、フクは動きたくても動くことが出来ないのである。
その上、必殺技Killer Nを放つ時に天気組三人から受けた傷が痛むので上半身も満足に動かない。
即ちフクはこれ以上ない程の満身創痍。
二発目の必殺技を繰り出すどころか、這って移動することすらままならないのだろう。
しかも雨風は継続して容赦なく降り注いでいる。
冷たく身にしみる雨粒は体力と熱量を次々と奪っていくため、
フクはあと数分も経過したら立てなくなるくらいに衰弱していた。
空が晴れれば少しは体力も回復するのかもしれないが、それがあり得ないことはフクが一番よく知っている。
食卓の騎士を尊敬しているだけに、マイミの雨女パワーの弱化を想像することすら出来ないのだ。
マイミとマノエリナを凌ぐほどの晴れ女が突然現れることなんてそう有り得た話ではないため、
そこに関してはフクも諦めていた。
だが、この場で立ち続けることだけは決して諦めてはいない。
歯を食いしばり、意識が飛びそうになるのを堪えて、気を引き締める。
もしもここで倒れてしまったらエリポンの、サヤシの、カノンの犠牲が無駄になることを分かっているからこそ
フクは恐ろしい強敵の前でも立つことが出来るのだ。
しかし、裏を返せばフクを支えるモチベーションはたったのそれだけ。
普段は応援という形で勇気を貰うのだが、今のこの状況ではそれが全くと言って良いほど期待できない。
唯一の仲間であるQ期はみな倒れているし、
立会い人は中立であるため、声に出してフクにエールを送ることはない。
つまりこの広い訓練場でフクはひとりぼっちなのである。
応援といった後押しもなく、弱った身体でハルナンに対抗するのは至難の技に違いない。
そうして困窮するフクに向かって、ハルナンがまた一歩近づいてくる。



◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ 



ハルナンがフクの元に到達したちょうどその時、
本来ならばありえないはずのことが起き始めた。

「晴れ……た?」

先ほどまで訓練場を局所的に叩きつけていた豪雨が、嘘のように消え去ったのだ。
黒々とした雨雲も、吹き飛ばされそうなくらいの強風も、今はもう何もない。
唯一存在するのは暖かな日差しのみ。

「ど、どういうこと!?ありえない!」

当然のようにハルナンはパニックに陥る。
マイミとマノエリナといった盤石の布陣を築き上げてきたはずだったので
こうも簡単に雨が止んだ事実を受け入れられていないのだ。
信じられないような顔をしているのはフクも同じ。
だが、フクは知っていた。
雨女二人のパワーをも覆すことの出来る晴れ女集団がマーサー王国に存在することを。

「来てくれたんですね……皆さんお揃いで。」

フクが感激の涙を流すのと同じタイミングで、マイミとマノエリナは互いに顔を見合わせる。

「なるほど!あいつら近くに来ているんだな。」
「はい、この感じからすると6人全員いるに違いありません。」

一連の光景を目にしたマーサー王は、大きな声をあげて笑い飛ばした。
結末が全くと言っていいほど予想のつかない決闘に、心から満足しているようだった。

「フク・アパトゥーマも、ハルナン・シスター・ドラムホールドも
 どちらも勝利のために食卓の騎士の力を利用するとは……なかなか面白いじゃあないか。
 この勝負、どちらが勝つのかいよいよ分からなくなってきたとゆいたい。」



◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ 



モーニング帝国城の城門。
現在そこにはマーサー王国から来たとされる6名の騎士が居座っており、
帝国の門番や、警備研修の真っ只中にある研修生らを震え上がらせていた。

「モモ!本当に私たち全員がここまで来る必要あったのか!?」

モモ、と呼ばれる女性に対して怒鳴り声をあげたのは
鋭い目付き(と顎)が特徴的な女性だった。
怪物のようなオーラを放つ集団の中でも彼女のそれは特に殺人的であり、
兵士らはみな、全身の四肢が鋭利な刃物によって輪切りにされたかのような錯覚に陥っていた。
人体の「普段は見られない裏側」をオープンに晒す感覚は、イメージとは言え恐ろしい。

「あら、ミヤはマーサー王に何かあっても良いって言いたいの?
 私たち全員で帰路を護衛するべきだと思わなかった?」
「マイミとマノエリナがついてるじゃないか!どう考えても十分すぎる。」
「"あの時"みたいなことが無いとも言えないでしょ?」
「うっ……」

通称モモも、ミヤと呼ばれる女性に負けず劣らずの存在感を持っていた。
彼女が発するのは冷気。
戦士として位の低いものはすぐにでも凍死してしまうほどの寒気を感じてしまう。

「ちょっと二人とも!喧嘩はしないの!」
「ほんとだよ!マーサー王を護る私たちが仲間割れしちゃ意味が無いよ!」

二人の仲裁に入ったのは、「色黒の長身」と、「長身の域を超えた巨人」だった。
色黒はとても明るくて、戦いとは無縁のように見えたが
その太陽のような明るさが突出しすぎるあまり、兵士らは業火の如き熱に炙られる。
肌が焼けて真っ黒コゲになる苦痛は並大抵ではなかった。
そして巨人は巨人で、天空から押さえつけてくるかのような重力を発生させている。
門番と研修生の全員がここから逃げ出したいと思っているのに、
それが叶わないのはこのプレッシャーのせいだったのだ。
もう一人、さっきから退屈そうにしている美女もいるが
その美女のオーラも例外なく凶悪。
ゆえに一般兵らは5種類の殺人級オーラをグッチャグチャに浴び続けなくてはならなかった。

「よし分かった!モモの言い分を少しは認めよう!護衛の強化は必要だった。」
「少し?何よその引っかかる言い方は。」
「副団長である私ならびに、ベリーズの構成員4名が王を護るのは認める。
 でも、お忙しい団長のお手を煩わせる必要はなかったんじゃないか!?
 ですよね?シミハム団長!」

視線の先にいたのは、目を閉じて座禅を組んでいる小柄な女性だった。
派手な怪物集団の団長と言うにはあまりにも地味で、弱々しくも見える。
そして不思議なことに、その団長からは全くと言って良いほどオーラが感じららなかった。
他のメンバーが天変地異を起こしているのに対して、彼女は"無"そのものなのだ。
一見して弱き者だというのに、化け物らみなが注視してる。
目をパチリと開いた団長が首をちょっと横に振るだけで、大袈裟に反応をする。

「団長!……団長がそう言うのであれば……」
「ほら~私の方がシミハムの気持ちを分かってたでしょ?」
「う、うるさい!」



◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ 



フク・アパトゥーマは、自身の身体が軽くなるのを確かに感じた。
体力を奪いつつあった豪雨が止んだというのもあるが
それ以上に「憧れのベリーズ戦士団が来てくれた」という事実が疲れを吹っ飛ばしてくれている。
しかもフクは、ベリーズが自分を応援してくれているということを微塵も疑っていない。

(有難う御座います!私、勝ちます!)

Q期の期待に応えるという使命感に加えて、歴戦の戦士らの応援パワーも加わったのだからフクはもう無敵だ。
激痛で動かせなかった腕だって、今なら動く。
これまでにない希望に満ちた一撃を、ハルナンへとぶつけていく。

(どうして!?こんなのありえない!!)

フクとは対照的に、ハルナンは絶望の奥底に立たされていた。
さっきまでの勝ちムードが180°ひっくり返されたので、動揺も半端ではない。

(フクさんはこれを狙っていたというの?……それとも全くの偶然?)

これまで豪雨でフクの表情が見えなかったため、ハルナンは相手の真意を掴めずにいた。
天候を晴れにする手段を握りながらハルナンを躍らせていたのかもしれないし、
あるいは何も考えずこうなることだけを信じて待っていたのかもしれない。
前者であればハルナンをも越える策略家となるし、
後者であれば神に愛された存在だと認めなくてはならない。
どっちにしろ、今のパニック状態にあるハルナンが相手するには強大すぎていた。

「う、うわああああ!」

ハルナンは模擬刀を構え、フクの放つ斬撃に力いっぱい当てていった。
もはや、それくらいしか出来なかったのだ。



◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ 



フク・アパトゥーマとハルナン・シスター・ドラムホールド。
この時点でどちらがより負傷しているかと聞けば、誰もがフクを指さすだろう。
いくら元の膂力に差があるとは言っても、
この状況で普通に斬り合えばハルナンが勝利するはず。
しかし、精神の疲弊が段違いだった。
地から天に上がったばかりの者と、天から地に落とされたばかりの者とでは、勢いか違うのだ。
そして奇跡はまたもフクを味方する。

(えっ?……剣が何色にも輝いて……)

フクの剣が七色に輝くのを目撃したハルナンは、
いよいよ神の所業であることを疑わなくなってしまった。
普段フクが持つ装飾剣よりも煌びやかに輝く模擬刀を前に、
対抗せんとする意志さえも奪われたのだ。
もっとも、フクの剣が輝いた現象は神や仏の仕業とはまったく関係ない。
ただの光の反射。単なる物理現象である。
オダ・プロジドリやサユ王がやってみせたような刀身による反射がたまたま決まっただけのこと。
唯一違う点といえば、雨上がりの太陽光を跳ね返したために
その光が虹色に輝いたことくらい。
マーチャン・エコーチームが製作したこの模擬刀は、汎用的なためどんな色にも変えることが出来る。
サヤシにつけばサヤシの色に、アユミンにつけばアユミンの色に、
要するに推し変がとてもし易い仕様になっている、というのは以前説明した通りだろう。
だがいくら変えられるとは言っても、フクは単推し程度では満足出来なかったのかもしれない。
彼女の剣は7色の剣。
つまりは箱推し。
尊敬する人物を一人に絞るなんてナンセンス。
まったくもって勿体なさすぎるのだ。

「たあああああ!!」

その一撃は確かに弱々しかったかもしれない。
それでも、同期の思いを乗せて、尊敬する戦士らの応援を力にして、なんとか放つことができた。
だからこそ、考えすぎた結果として恐怖に飲まれたハルナンを打ち破れたのだ。
すべての結末を見届けたサユ王が立ち上がり、宣言する。

「勝者はフク!次期モーニング帝国帝王はフク・アパトゥーマであることを認める!」

勝利をおさめたフクは安心しきって、その場に倒れてしまう。
今はホッとしているが、これからが大変だろう。
なんせ、今後は七色では収まらない程の光を背負い続けなくてはならないのだから。



◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ 



決着から数ヶ月後。
モーニング城では新たな帝王の就任式が始まるとして、たいへん賑わっていた。
この日の主役はもちろん、例の決闘で勝利したフク・アパトゥーマだ。
数時間後の就任スピーチに備えて、控え室で身体を休めている。

「フク王様、脚の方の調子はもう宜しいのですか?」
「うん、ハルナン。もうすっかり歩けるようになったよ。」

この控え室の中にはフク王の他にもう一名。
モーニング帝国に2人存在する帝国剣士団長のうちの1人であるハルナンが立っていた。
これから大舞台へと羽ばたくフクのサポートを務めているのだ。
もう1人の帝国剣士団長は部屋の外の警備に当たっているため、ここには2人しかいない。

「それにしてもフク王様。」
「なに?どうしたの?」
「やっぱりフク王様こそ前線で戦い続けるべきだと今でも思うんですよねぇ……
 王座は、戦闘の役に立たない私に譲ってみませんか?」
「ちょっと!まだ言ってるの!?」
「うふふふ、冗談ですよ。 緊張をほぐすためのギャグです。」
「笑い事じゃないよもう……それにね、ハルナン。」
「はい?」
「私はね、ハルナンの方がずっと前線向きだと思ってるよ。」
「……それはギャグですか?」
「ううん。冗談なんかじゃない。
 ハルナンの策で帝国剣士全員を動かしたら凄いことが起こるはず。
 ううん、モーニング帝国剣士だけじゃもったいない。
 アンジュの番長、果実の国のKAST達とも協力しよう。
 個性の強い戦士達をまとめる総指揮は、ハルナンにしか取れないんだよ。」
「お言葉は嬉しいですけど……結局、私が前線に立つのとは関係ないのでは……」
「ある。」
「ありますか?」
「ハルナンはいつも最後には自ら敵に立ち向かってるよね。
 その自己犠牲の精神があるからこそ、天気組のみんなは従ってきたんじゃないかな。」
「あはは、じゃあそう受け止めておきます。
 ただ、一つだけいいですか?」
「なに?」
「総指揮に立つってことはQ期さんも自由に使っていいんですよね?
 後輩の私から命令するのは難しいので、王の方から新任帝国剣士団長さんに言付けしてもらえませんか?」
「うん。言っておく。」
「それはどうも。」



◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ 



式典が行われる会場には数え切れないほど多くの人々が収容されていた。
城に仕える者だけではなく、新たな王を一目見たいと望む国民たちも集っている。
おかげ様で一階席、二階席、アリーナ席のどれもが満席。満員御礼だ。
そして、関係者席には特に重要なVIPらが着席していた。
アンジュ王国のアヤチョ・スティーヌ・シューティンカラー王ならびに8名の番長や、
果実の国のユカニャ・アザート・コマテンテ王と4名のKASTらも十分大物ではあるのだが、
特に来場客らからの視線を集めていたのはマーサー王と11名の食卓の騎士だった。
祝いの場なのでいつもの天変地異の如き殺人オーラを最小限に抑えてはいるが、
それでも彼女らはそこに居るだけで周囲を緊張させる。
この数ヶ月で大きく成長したモーニング帝国剣士らも、ベリーズ&キュートの放つプレッシャーだけはまだまだ苦手なようだった。
あの自由奔放なマーチャンでさえも、本能で危険を感じ取ったのか、大人しくなっている。
そんな中でビビっていないのはQ期団のサヤシ・カレサスくらいのものだ。
とは言っても、決してサヤシのメンタルが強くなったという訳ではない。
今は別件で頭がいっぱいなのである。

「認めない認めない認めない……」
「ちょっと、まだ落ち込んでるの?」
「カノンちゃん……ウチはもうダメなんじゃ。Q期としてやってく自信が無い……」
「気持ちは分かるけど決まったものはしょうがないでしょ。 
 ほらお菓子あげる。ストレスは甘い物で吹き飛ばせばいいんだよ。」
「ありがとう……」
「まだたくさん残ってるからね。」



◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ 



トントン、と扉がノックされる音をフクとハルナンは耳にした。
警備を担当する新帝国剣士団長、兼新Q期団長には誰も通すなと伝えていたので
2人は少しだけ怪訝そうな顔をしたが、
部屋に入る客人の正体を知るや否やすぐに納得する。

「へぇ~フクちゃんなかなか可愛く着飾ってるじゃないの。」
「「サユ王様!!」」
「王じゃないでしょ、もう。」
「いえ、私たちにとってはいつまでもサユ王です。」

フクを訪ねてきたのはモーニング帝国の先代の王、サユだった。
わざわざこうして訪ねてきてくれたのだから、現王フクはたいへん嬉しくなってくる。

「でもいったい何の御用で……ひょっとしてスピーチのアドバイスとか……」

サユは名演説家として他国にも有名だったので、
人前で話すのが苦手なフクはありがたい助言を期待していた。
ところが、サユの目的はそれではなかったようだ。

「ううん、初スピーチは自力でなんとかなさい。」
「ではいったい何用で…」
「私はね、自分の考えの正しさを確認しに来たの。
 いや~我ながら完璧完璧」
「???」

フクにはサユの言葉の意味がまるで分からなかったが
ハルナンはすぐに気づいたようで、クスクス笑っていた。

「ふふふふ……スパルタにも程がありますよ。本当に。」
「え?え?ハルナンは何か知ってるの?」
「はい。サユ様は私たち帝国剣士に一人前になって欲しいがために引退を決意したんですよ。」
「ええ~~!?」

そこからサユはこれまでの選挙戦の裏で行われた、
数々の暗躍を白状していった。
わざと全員が血を流すように誘導したこと、
ハルナンが上手い具合に盛り上げてくれたこと、
そして最終的に素晴らしき新王と、立派な帝国剣士たちが誕生したことを告げていく。

「……ってワケ。なかなか満足いく結果だったわよ。」
「あ、有難う御座います!そんなに良くしてくれてたなんて……
 でも、ハルナンはこのことを初めから知ってたの?
 じゃあ今までのは全部演技……」
「違いますね。」
「!」
「演技なんかじゃありません。本気で帝王の座を勝ち取ろうとしてました。
 この期間、嘘をつくことはあっても手を抜いたことは一度とたりとも有りません。
 ですが、残念なことにフクさん達のほうが一歩上を行ってたのですよねぇ……」
「そ、そっか。」
「でもいいんです。おかげで"ファクトリー"に対抗できるかもしれない大戦力の指揮権を得ることが出来ました。
 いつまでも脅威に怯えるより、近々こちらから仕掛けていきましょう!!」
「「"ファクトリー"……!」



◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ 



ハルナンは、王と剣士団長クラスの者にはファクトリーに関する情報を共有していた。
モーニング帝国に危険を及ぼすかもしれない存在ではあるが
その力が強大すぎるため、いたずらに恐怖を植え付けないよう公開範囲を狭めていたのである。

「ユカニャ王が"悪意なき悪"、"バイ菌"といった言葉で形容するファクトリーですが
 つい最近、マーサー王国の領土にて8名固まって行動しているのが確認されたみたいですね。」
「知ってる!確かベリーズの皆さんが対処したって聞いたよ。」
「はい。フク王様の言う通りです。」
「でも、シミハム様、ミヤビ様、モモコ様の力を合わせても追い払うのが精一杯だったらしいね……」
「はい。それもフク王様の言う通りです。」

あの怪物のように強い食卓の騎士3人の力を合わせても倒しきれなかったという事実は、
絶望を感じるには十分すぎるほどの情報だった。
そんな凶悪な存在が最低8人も周辺国をうろついていると考えると、王としては気が気でない。

「ハルナン。ファクトリーを倒す策はあるの?」
「……100%とは言えません。まだ足りていないんです。」
「足りていない、ってのは?」
「味方の伸びしろに関する情報ですね。特に新人が……」

完全に作戦会議モードに入るある室内に、外にいる新任剣士団長の声が飛び込んでくる。

「ちょっとちょっとー!そろそろ式が始まるけんねー急いで急いでー!」

はっとしたフクは時間を確認し、もう本番まで時間が無いことを理解する。

「あわわわっ、ほんとだ。急がなきゃ!」

フクとハルナンは急いで残りの支度を終わらせていく。
そんな慌ただしいフクに向かって、サユはくつろぎながら声をかけ始める。

「あ、そうだフクちゃん。」
「な、な、なんですか!?」
「合宿は全カリキュラム修了したから。」
「!!……それで、合否の方は……」
「安心していいよ。4人全員合格。」
「本当ですか!……ということは、残るは最終試験のみですね。」



◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ 




舞台に主役が登場することで、会場は一気に静まり返る。
純白のドレスと、金色に輝くティアラで彩られた新王フク・アパトゥーマに目を奪われているのだ。
普段は軍服や訓練着ばかり着ているイメージが強いため、誰もがその美しさに息を飲む。
だが、しばらく経つと来場客はまたざわつき始めた。
フクではなく、その三歩後ろについている帝国剣士団長に注目している。
関係者席にいるサヤシも、その事実が公に晒されてしまったことにガックリきていた。

「はぁ~……なんでエリポンなんかが剣士団長になってしまったんじゃ……」

王の後ろの帝国剣士団長は、新任のエリポン・ノーリーダーと、従来通りのハルナン・シスター・ドラムホールドの2名だった。
今後はそれぞれがQ期団と天気組団の団長をも兼ねることになる。
この時のエリポンの表情はドヤ顔にも程があり、
今すぐにでも「これが現実です。」と言いたそうな雰囲気を醸し出している。
このまま放っておけば会場はいつまでもざわついていたのだろうが、
フク王が拡声器に手を伸ばすことでそれもピタリと止む。
やはり主役はフク。みな彼女の演説を聞きに来たのだ。
最重要同盟国であるマーサー王国の面々もこれは見逃せない。

「ほらフクちゃんのスピーチが始まるよ。 あの時モモが晴れさせたおかげで王になれたんだよね。」
「え?クマイチャン何言ってるの?意味が分からないんだけど……」
「またまたぁ。」

誰もが新王フクの力強いスピーチを期待したのかもしれない。
先代サユがやってみせたように、人の心を鷲掴みにする話術を見たいと思うのは当然だろう。
だが、残念ながらフクにはそんなトークなどできやしない。
弱々しいかもしれないし、文量もサユと比べてずっと短いが、
フクは自分の思いの全てを言葉に詰め込んでいた。

「モーニング帝国史上、最も頼りない帝王だと思われてしまうかもしれません。
 でも、タカーシャイさん、ガキさん、レイニャさん、アイカさん、
 そしてサユさんに教わったことには誰よりも自信があります。
 サユさんのように背中で語ることは出来ないと思いますが、
 みんなで頑張っていくことは出来ると思うので、精一杯頑張りますので、
 これからのモーニング帝国をよろしくお願いします。」

本心を言葉にしたフクに対する反応は、文句無しの拍手喝采だった。
立ち上がりながら手を叩く人たちまで視界に入ってくる。
確かにサユのような名演説とは言えないかもしれないが、
この場にいる人々の心を掴むには十分すぎたのだ。

「さて、それでは仕上げですね。」

ハルナンが重厚そうな剣を取り出し、フク王に膝をついて手渡した。
王が剣を取り、力強く掲げることが恒例の儀式となっているのだ。
フクは宝石が贅沢に散りばめられた剣を見て、
剣士時代愛用していた装飾剣「サイリウム」のことを思い出した。

(懐かしいなぁ、確かにアヤチョ王に折られちゃったんだっけ……
 剣士だった私を支えてくれてありがとう。
 そして王となる私をこれからも支え続けて欲しい。」

フクは鞘から剣を引き抜くと、雲ひとつない天空へと突き上げた。
その剣は装飾剣「サイリウム」のようにピンク色単色には輝かない。
決闘の日の模擬刀のように虹色の7色にも輝かない。
新たなる剣は太陽に照らされることで13色に輝くのだ。
王が握るに相応しき装飾剣、その名も「キングブレード」。
その剣が放つPRISMのGRADATIONは、この国の全ての「かがやき」を表現している。



◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ 



式も終わり、各国の重鎮への挨拶も済んだところで
フク王はやっと帝国剣士らに会うことが出来た。
Q期団はもちろんのこと、天気組団も式の感想を言い合う場を設けたいと考えていたのだが
フク王にはそれよりももっと見て欲しいものがあったようだ。

「みんな、今日のイベントはまだ終わりじゃないよ。」
「え?」「それはどういう……」
「新しい帝国剣士のお披露目会が開催されるから、今すぐみんな広場に来て!」
「「「!!!」」」

フク、ハルナン、エリポンの3名に連れられた先にある大広場には
サユ前王が召集した500名の一般兵らがズラリと並んでいた。
それを見て、サヤシがごくりと唾を飲む。

「入団当時を思い出す……最終試験が行われるんじゃな。」

モーニング帝国剣士の最終試験。それはお披露目の場で500人斬りを達成することだった。
帝国剣士の新人は特殊な場合を除き、基本的には若き少女から選ばれるため、
屈強な男性兵達に舐められないように実力を示さねばならないのだ。
同期の力を合わせて500もの男を納得させる。 
それが出来ねば帝国剣士としての資格はない。

「うわぁ~アレ大変なんだよねぇ……」
「アユミンさん達は苦戦したんですか?私は1人で500人斬りを達成しましたが。」
「うるさいぞオダァ!!」

この試験、期にどんなタイプの戦士が揃っているのかによって難易度が大きく上下する。
Q期のような純粋な戦闘タイプなら楽勝なのだが、
天気組みたいに特殊戦法を使うようではなかなか難しいのかもしれない。
それでも、この試験は必ず乗り越えねばならない。
一切の言い訳は許されない。

「それでは新たな帝国剣士たち!前に!」

フクの号令とともに新メンバー4人が登場する。
4人の少女はさすが合宿を乗り越えただけあって、一癖も二癖もあるように見えるが
その中でも最も小柄な新人は、帝国剣士らの視線を多く集めていた。

「あれ?あの子は確か……」
「サユ様のお付きの……」

一同が質問を投げかける暇もなく、最終試験の時刻が迫ってくる。
フク王の呼びかけに応えることでお披露目は始まるのだ。

「ハーチン・キャストマスター!」
「はい!」
「ノナカ・チェルシー・マキコマレル!」
「はい!」
「マリア・ハムス・アルトイネ!」
「はい!」
「アカネチン・クールトーン!」
「はい!」
「今こそ力を合わせて、帝国剣士としての威厳を示すのだ!!」



◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ 



「じゃあウチから行くわ。ノルマは100人なんやろ。余裕のよっちゃんやで。」

他の3人に先駆けて前に出たのは、新人の中では最年長であるハーチン・キャストマスターだった。
雪のように真っ白な肌と、折れてしまいそうなくらいに細い腕が特徴的な女性だ。
彼女ら新メンバーは最終試験を攻略するための作戦会議を事前に行っており、
各自が順番に100人ずつ計400人を撃破して、残る100人を4人のコンビネーションで始末しようと決めていたのだ。
ところが、先陣を切るはずのハーチンの両手には剣が握られていなかった。
帝国剣士は文字通り「剣士」であるため誰もが剣を武器にするのが道理だし、ハーチンもその例からは漏れていない。
そう。彼女の剣は手ではなく足に装備されているのである。

「あ!あれは……!!」

オダにはハーチンの履いている靴に見覚えがあった。
それは以前マーチャンがラボで試作品として使用していた刃付きの特注シューズだったのだ。
靴底にエッジが取り付けられたその見た目はまさに「スケート靴」そのもの。
おそらくはスケートの要領で滑りつつ、蹴り技で相手を斬りつけるための武器だと想像できる。

「でも、陸地じゃ滑れんっちゃろ?」

エリポンがそのような疑問を抱くのは至極当然のこと。
スケート靴は氷の上を移動するための道具。地上では満足に滑ることが出来ないはずだ。
だが、スケート靴の製作者であるマーチャンはそのことも折り込み済みだった。

「エリポンさん遅れてるなー」
「なん!?」
「ローラースケートですよ、あの子が履いてるのは。」
「!」

ハーチンはマーチャンの記述した説明書の通りに、かかと部分をコンと強く叩く。
それがギミックの起動スイッチとなり、靴内部に収納されていた車輪が外へと飛び出していく。
このスケート靴「アクセル」はアイススケートとローラースケートを切り替えることによって氷上と陸上の両方に対応可能なのである。
さっそくハーチンはローラーによる加速で敵の集団が固まっているところへと突撃する。

「ほらほら~行くで~!」

そこからはハーチンのオンステージだった。
高速移動からの勢いで繰り出される蹴り、すなわち斬撃を避けられる兵はそうそういなかった。
スケート競技の経験で培った柔軟性のおかげで彼女の脚は高くまで上がるため、
剣を手に持つ剣士と比べてまったく見劣りしない射程をもカバーしている。
そして特筆すべきは、攻撃にしょっちゅう組み込まれているスピンの回転力の凄まじさだ。
ハーチンはその細腕細足ゆえに一見して非力な戦士のように見えるのだが、
一っ跳びでダブル回転、トリプル回転くらいは簡単にしてしまうので、その回転力がスケート靴のブレードの破壊力をより一層高めてくれる。
ゆえに硬い装甲であっても簡単に切り崩すことが出来るのだ。
スケート技術を取り入れた戦法を巧みに操るため、ハーチン・キャストマスターは西部地方で「氷上の魔術師」と呼ばれていた。
だが、そんな彼女にも直すべき欠点はある。

「Ummm……ハーチンまた悪い癖が出てる……」
「女の子があんな顔をするなんて、マリア、信じられません。」
「ハーチーーーン!顔!顔!」

ハーチンの欠点。それは戦闘の悦びに浸るあまり、ついつい変顔になってしまうことだった。
白目を剥いた変顔で敵をバッタバッタと薙ぎ払う様は、傍から見れば恐怖でしかない。
それが由来となって、ハーチンは西部地方で「表情の魔術師」とも呼ばれていたという。



◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ 



変顔はともかく、華麗に滑りながら攻撃する戦法はなかなか見事なものだ。
ハーチンのバランス感覚ならば、アユミンがツルツルに均した地面の上でも転倒せずに活躍出来るかもしれない。
先輩剣士と連携可能であれば技のバリエーションも増えるため、実戦が非情に楽しみになってくる。
そんなハーチンに続こうと、もう一人の新人剣士が準備をし始める。

「ハーチンの戦い方は本当にfabulousだなぁ……そろそろ私も行かなきゃ。
 あ、その前に先輩方にご挨拶か……」

二人目の新人は少しボーっとした、どこか田舎臭い雰囲気を残した少女だった。
彼女の名はノナカ・チェルシー・マキコマレル。異国での修行経験を誇りに思っている。
異国語を「覚えた」ことのあるマーチャンも、そこに興味を持ったようだ。

「外国の言葉話せるの?」
「Yes!」
「喋ってみて。」
「How are you doing? I am fine.
 I'm so happy to be a member of this team.
 Why don't we talk about the globalization of Moning empire's swordwoman together?
 I want to liven up the Military strength with you all!」
「What do you want? Is it necessary?」
「Oh! マーチャンさん、さすがです。」

異国語となると急に流暢に喋りだすノナカに、マーチャン以外の先輩剣士らは困惑してしまった。
その中でもエリポンだけはなんとか話に入ろうと頑張ってはみたものの、
語学力が足りないために「I am a pen!」としか言えなかった。
そうこうしているうちに、ハーチンがノルマの100人斬りを達成する。

「よっしゃ終わった!ノナカちゃん交代な~……ってあれ?ノナカちゃんどこに消えた?」

もうすぐ出番だというのに、さっきまで先輩の前で自己紹介していたというのに、
ノナカは足音も無くその場から消え去ってしまっていた。
いや、正確には「足音が無い」というワケではない。非情に聞き取りにくいだけで有るには有るのだ。
帝国剣士の中でも特に優れた音感を備えたカノンとマーチャンだけが、一般兵の密集地帯へといち早く視線を向ける。

「あそこだ!ノナカちゃんはもう戦闘開始してるんだよ!」

カノンが叫んだころには既に、ノナカは柄の部分に紐のついた忍刀をぐるりと回して、周囲の敵をぶった切っていた。
音が鳴るよりも速く刀を投げつける芸当は、忍刀「勝抜(かちぬき/かつぬき)」がおもちゃのように軽いからこそ出来ることだ。
この「無音切り」を自身の代名詞としているノナカだが、彼女の特徴はそれだけではなかった。
次の行動が、特にエリポンを驚愕させる。

「アクロバットまでやりようと!?」

周りの兵をあらかた切り終えたノナカは、次の敵が集まるところへと前転で移動していた。。
他にもバク転や側宙など、エリポンを彷彿とさせるアクロバットで相手を翻弄する。
回転数や力強さなどは先駆者であるエリポンに軍配が上がるが、その代わりノナカの器械体操はとても静かだった。
音をほとんどたてずに縦横無尽に跳び回る様はまるで忍者のよう。
海外生活の長いノナカは、それが反動となって母国の文化に強い興味を持つようになっている。
その結果、はるか昔の暗殺者として実在したとされる忍者の戦闘スタイルを好んで取り入れたのだ。

「はぁ、やっぱりみんな西洋の鎧ばっかり着てるなぁ……忍者がいなくてちょっぴりSHOCK……」



◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ 



次々と実力を示していくハーチンとノナカに続いて、3人目マリア・ハムス・アルトイネが登場する。
彼女が立ち上がるなり、残った300名の一般兵らもピリッとし始めた。
マリアは研修生の出身であり、その中でも優れた逸材として有名だったのだ。

「大大大好きなサユ様にひみつのマリアちゃんな修行を見てもらって、マリア、とっても嬉しかったです。
 だからマリアはもう、ややチビマリアじゃなくておとなマリアなんです!」

言葉のセンスはあまりに個性的すぎるが、研修生のTOPまで登りつめた実力は本物だ。
その強さの秘密は両方の手に異なる剣を握った「二刀流」スタイルにある。
左手には投てき用途で使われる小型の投げナイフ「有」。
右手には敵を叩き潰すに十分な重量を誇る両手剣「翔」。
この「投げナイフと両手剣」の2つを同時に扱う怪物のような強さが兵士らを怯えさせているのだ。

「両手剣?あの子、両手剣を片手で持っちゃってるけど……」

アユミン自身も「振分髪政宗」と名付けられた大太刀を愛用するが、やはり両手で握るのが精いっぱいだった。
マリアはこれまでとても辛い自主トレーニングや春季キャンプ、秋季キャンプをこなしてきたため
右手一本で両手剣をも持ち上げてしまうくらいのパワーを手に入れていたのだ。
新メンバーの中で最も長身、すなわち体格に恵まれているとは言ってもかなりの細身なので一見して弱そうだが、
実際に超重量の武器を軽々と持ち上げているところを見るに、筋肉がギュッと凝縮されているのだろう。
この厳しい修行もすべて、サユ(元)王をお守りしたいという一心で乗り越えてきた。
それだけマリアはサユのことを尊敬していたのである。

「それじゃあ行きます!20勝目指すので見ててください!」
「マリアちゃん!20勝じゃあかんで!100勝せな!」
「そうでした。100勝します!」

スケート術やアクロバットで動き回った同期とは対照的に、マリアは初期位置から動かなかった。
そう、彼女は投げナイフをぶん投げることによって、マウンドから一歩も下りずに敵を倒せるのだ。
これよりマリア・ハムス・アルトイネの始球式が開始される。
大きく振りかぶって第一球。今投げられた。

「あーーーーーーーー!?」

誰もが見事な投球を期待したものだが、それに反してマリアの投げナイフは上空高くにふっとんでしまった。
その先に敵がいれば良かったかもしれないが、残念ながらモーニング帝国の一般兵に空を飛べる者は存在しない。
普段の訓練や合宿では滅多に制球を乱したりはしないのに、ここぞという時で手元が狂ったのである。
あまりにショックすぎたマリアは、ガクッと項垂れて、地に手と膝をついて落胆する。

「汗ですっぽ抜けちゃいまりあ……ハンカチでちゃんと拭いておけばよかったです……」

ひどく落ち込んでいるマリアを見て、兵士らは「今なら倒せるんじゃないか?」と思い始める。
帝国剣士となる最終審査というプレッシャーに押しつぶされたマリアなら怖くないと考えて、大勢で押し寄せたのだ。
だがマリアの得意とするスタイルはご存知二刀流。
投げナイフ「有」がダメでもまだ両手剣「翔」がある。選手交代だ。
これ以上ミスをしたら帝国剣士になれない、つまりはサユを守れないと考えたマリアは必死で両手剣を振りまくった。
この剣は刃こそ鈍いが、かなりの重量であるためにヒットした敵をホームランのごとく遠くまで飛ばすことが出来る。
結果としてマリアは、マウンドから一歩も下りることなく次々と押し寄せる100名の命知らずを迎撃してみせた。

「勝てたけどイメージと違う……不甲斐なくてごめんちゃいまりあ……」



◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ 



ハーチン、ノナカ、マリアの3人が見事100人斬りを達成した今、
残る最後の一人であるアカネチン・クールトーンに注目が集められた。
戦闘向きには到底見えないその風貌に、ハル・チェ・ドゥーも心配しているようだった。

「クールトーンちゃんだっけ?……大丈夫?戦える?」
「ハルさん、これから私のことは名前で呼んでほしいです。」
「えっと……アカネチン?」
「はい!せいいっぱい頑張るので見ててくださいね!」

憧れの先輩に並ぶため、アカネチンは意気揚々と戦場に向かっていった。
もう彼女は研修生でも書記係りでもない。いっぱしの帝国剣士なのだ。
剣をその手に握り、同期と同じように100人の一般兵を倒さんとしている。

「えっ、あれがアカネチンの剣?」
「ペンのように見える……いや、彫刻刀じゃろうか?」

カノンとサヤシだけでなく、帝国剣士の誰もがアカネチンの持つ剣に驚きを隠せなかった。
それもそのはず。その剣はたった10cm強しかない筆のような形状をしていたのだ。
彫刻刀のようなナリをしたその剣の正体は"印刀"。本来は木や石を彫って印鑑を作るための道具だ。
その印は書をかいた後に己の名を判するときに用いられるため、書道には欠かせない。
印刀「若木」をアカネチンなりに扱うのが、彼女が合宿で習得した戦闘スタイルなのである。
しかしそれをもってしても、アカネチンは殆どの一般兵らに舐められているようだった。

「アカネチンって研修生にいた子だろ?……強かったか?」
「実力は中の下ってところかな。マリア様と違って恐れるに足りない。」
「だったら手柄を立てるチャンスじゃないか。仮にも帝国剣士。痛い目を見せて、俺たちの力を示してやろう!」

残りの200人のうち、考えの浅い者どもは一斉にアカネチンに襲い掛かった。
帝国剣士の最底辺が相手ならば自分たちも勝利を収めることが出来ると思ったのだろう。
だがアカネチンだってサユ元王に認められ、修行を積んできた戦士だ。
この程度の逆境を乗り越えられないはずがなかった。

「全部、見えてます!」

複数の兵士らによる剣や槍の雨あられをアカネチンはすべて避けきってしまった。
どちらかと言えばどん臭いイメージだったはずのアカネチンがとても見事な回避を決めたので、一同は驚愕する。
一見して超常的な進化のように見えるが、これまでの経験を思い返してみればこれくらいは出来て当然だ。
クマイチャンとモモコの本気の戦いを間近で見たり、合宿でサユによる殺気の込められた斬撃を避け続けた彼女にとって
一般兵の攻撃を見極めることなんて容易いのである。



◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ 



アカネチンの得意技は見切りのみではない。
サユの書記係だった時に見せた高速筆記だって立派な個性の一つだ。
「筆」を「印刀」に、「紙」を「相手の肉体」に置き換えれば、特技は戦闘スキルへと変化する。

「うわあああああ!!」
「い、痛い……!」

相手の肉を掘るという行為は、アカネチンの可愛らしい見た目とはウラハラにあまりにもえげつなかった。
剣で四肢を斬りつけるのと比較するとダメージ量は明らかに少ないはずなのだが、
日常のそばにあるリアルな痛みという理由から、周囲にいる敵兵らの戦意を喪失させていく

(よし!この戦い方なら勝てる!)

戦士としての手応えを感じ始めたアカネチンは、恐怖で動きの鈍った相手を引き続き削り取ろうとする。
しかし、つい最近まで並程度の実力だった彼女がこんな戦い方を長く続けられる訳もなかった。
敵の肉をえぐる感触は己の手に直接伝わってくるし、悲痛な叫び声だって間近で耳にしなくてはならない。
おまけに今回のノルマを達成するには100回も同じ行為を繰り返す必要があるので、
まだ幼いアカネチンは精神的にも肉体的にもひどく苦しめられることになった。

「はぁ……はぁ……でも、ここで頑張らないといけないんだ……」

結果だけ書けば、アカネチン・クールトーンは100人切りを見事達成することができた。
だが先に述べた理由から疲労困憊になり、条件をクリアーするや否や地面に倒れこんでしまった。
心も体も限界なので、ここから先はもう戦うことなど出来ないだろう。
帝国剣士のほとんどが、ここまでよくやったとアカネチンを温かい目で見守ったが、
唯一ハルナンだけがあえて厳しい言葉を投げかけていた。

「あれ?たしか最後の100人は4人のコンビネーションで戦うんじゃなかったっけ?
 アカネチンがこんな状態なら、3人で戦うしか無いのね。」

同期の力を合わせて500人を倒す、という最終試験の条件自体を満たすことは出来るだろう。
しかし、それでは有言実行にならない。計画倒れとみなされてしまう。
実際の戦場では不測の事態などいくらでも起こりうるため、せめて試験や訓練の場ではトラブルなくこなさねばならないのだ。
それを新メンバーに知ってもらいたいため、ハルナンはあえて言葉にした。
ところが、ハーチンら3名はまったく落胆をしていないように見える。

「ハルナンさん、アカネチンは戦いながらこれを書いてたんですよ。見てやってください。」
「このメモは……!!」

ハーチンに手渡された紙には、残る100名の敵兵の特徴がびっしり記述されていた。それも血文字でだ。
アカネチンは持ち前の洞察力で戦況を見張り続け、同期に情報を共有する目的でメモを残したのである。
兵士の血液をインク代わりに印刀で書いた文章はとても読みやすく、
一目見るだけでハーチン、ノナカ、マリアの3人は残る100名の弱点を理解することが出来た。
嘘みたいに簡単に頭に入ってくるのである。
そして3人は自分たちが一人で戦うよりも圧倒的に早いスピードで残党を制圧するのに成功する。

「やったー!アカネチンのおかげやで!」
「Yes! やっと帝国剣士として認められるんだね。」
「嬉しいこと&楽しいこと、いっぱいあるといいね。」

とても嬉しそうに喜ぶ新メンバーから少し離れたところで、フク王がハルナンに声をかける。

「私はあれもコンビネーションの一つの形だと思ってるけど、ハルナンはどう思う?」
「王がそうおっしゃるのなら私が言うことは何もありませんよ。それに……」
「それに?」
「アカネチンの能力は非常に有用です。本人はまだ気づいていないのかもしれませんけどね。」
「そうなの?じゃあハルナンが新メンバーの教育係としてちゃんと教えてあげてね。」
「えっ?」

すべての帝国剣士が新たな仲間を受け入れたところで、この物語は完結する。
そして、新たな物語が始まる。

New Start
Morning Empire's Swordwoman。'15

第一部:sayu-side 完



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