投票前日の朝。
フクはQ期合同訓練に備えて、今日も訓練場に赴いていた。
ほかのメンバーよりも早めにやってきて準備をするのが日課になっていたのだ。
ところが、今日だけは異なる人物に先を越されることになる。

「おはよう、フクちゃん」
「・・・・・・!」

先客の正体はアンジュ王国のスポーツ番長、タケ・ガキダナーだった。
突然の旧友にフクは一瞬たじろぐが、すぐに自身の考えが正しかったことを確信する。

「タケちゃん・・・・・・ハルナンに言われてきたの?」
「おっ、気づいてたんだ。」
「分かるよ。バレバレだからね。(本当は半信半疑だったけど)」
「じゃあ隠す必要はないな、やろうぜフクちゃん!」

そう言うとタケは先手必勝とばかりにフクに殴りかかる。
不意打ちの速攻は卑怯にも見えるが、タケはそんなことは思っていなかった。
こうでもしないと初撃を当てられないと考えるくらい、フクを認めているのだ。
そして実際に、その攻撃はフクには通用しなかった。
きらびやかに輝く装飾剣、その名も「サイリウム」でタケの拳を防いだのである。

「その剣は!・・・・・・フクちゃん、本気だな」
「うん、タケちゃん相手に模擬刀なんて使ってられないからね。」

いつ襲われても対応できるように、フクは訓練用ではなく「戦闘用」の装飾剣を帯刀していた。
そしてそれはフクだけでなく、ほかのQ期団員も同様だった。

同時刻、エリポンがよく魔法トレーニングをしている城外の広場。
ここには天気組アユミンの斬撃を、打刀「一瞬」で受け止めるエリポンの姿があった。

「ぐぐぐ・・・・・・エリポンさん、意外と反射神経あったんですね・・・・・・」
「当たり前っちゃろ?この刀より速い剣をエリは知らんよ。」

さらに時を同じくして宿舎と食堂の間にある通路。
KASTのトモが全力のパンチをカノンの腹にぶつけるが、むしろ己の拳を痛めていた。

「ぎっ!・・・・・・なんだこれ!あんた鎧着ながら朝ごはん食べるの!?」
「戦場なんだから、鎧着用は常識でしょ。」



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ハルナンとマロは、現場担当を4つのグループに分けてQ期のそれぞれに向かわせていた。
訓練場でフクと戦うのはカナナン、タケ、リナプー、メイの4名だ。
4人揃えばアヤチョ王も凌ぐというアンジュ王国最強のチームワークでフクを確実に仕留めるのが役目である。
城外ではエリポンとアユミンの一騎打ちが繰り広げられる。
アユミンは勝利することが目的ではない。エリポンを足止めし続けることが狙いなのだ。それならば一人で十分。
城内通路ではカノンとトモ、そしてサポート役としてカリンが対峙する。
帝国剣士随一の耐久力を誇るカノンを崩せるのは、トモとカリンの超火力コンビしか居ないとの判断である。
最後に、帝国剣士の宿舎に居るであろうサヤシにはマーチャン、ハル、アーリーの3名を向かわせている。
正統派なサヤシをマーチャンとアーリーの異次元殺法で翻弄することが期待される。(ハルは2人のお守り役)
これらは司令によって練りに練られた作戦ではあるが、開幕早々、想定外の事態が起きているようだった。

「なんで!?サヤシすんいないよ!」
「おかしいなぁ・・・・・・サヤシさんのことだからまだ寝てると思ったのに。」

その想定外は宿舎で起きていた。
いつもならサヤシはまだ夢の中にいる時間帯だと言うのに、ベッドは既にもぬけの殻だったのだ。
もしもサヤシが他のメンバーのところに居るのであれば、そのメンバーと戦う相手が不利になってしまう。
想定外がさらに新たな想定外を生むという負の連鎖を思うと、ハルは冷や汗を流す。

「くそっ!・・・・・・もしもエリポンさんのとこに居るとしたらまずいぞ、アユミンがピンチだ。」
「あ、このベッドまだサヤシさんの温もりがしますよ!匂いも。」
「本当かいアーリーちゃん!じゃあそう遠くには行ってないはずだ、3人で宿舎中を探すぞ!!」
「「おー!」」

3人は大慌てで部屋の外へと出て行った。計画の綻びをなんとかしようと必死なのだろう。
そんな3人が居なくなったのを確認して、サヤシがベッドの下からひょこっと顔を出す。
彼女はハル達が部屋に入る前にすばやく隠れていたのである。
普段は眠くてそんなことは出来やしないのだが、フクの必死な懇願がサヤシを変えたのかもしれない。

「フクちゃんの言ぅとった事は本当じゃった・・・・・・狙いはエリポン?
 じゃあどうせ城外の"魔法トレーニング場"におるんじゃろう・・・・・・助太刀せにゃいかん。」

そう言うとサヤシは壁にかけてある居合刀を掴んでは、腰にセットする。
この2週間手入れは十分に行っていたので、敵を斬る準備は万端だ。
たとえその対象がアユミンであろうとも。



◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ 



舞台はまた訓練場に戻る。
そこでは、応戦中のフクとタケの前に新たな刺客が登場し、今まさに飛び掛るところだった。

「タケちゃん助太刀するよ!」

新顔の正体はタケと同じアンジュ王国出身の文化番長メイ・オールウェイズ・コーダーだ。
前にも書いたように、番長4人はこの訓練場に集結していたのである。
タケとメイとで二人がかりなので番長側が圧倒的有利なはずなのだが、むしろタケは渋い顔をしていた。

「馬鹿!お前がなんとかなる相手じゃねぇよ!」

はじめはタケが何を言っているのか分からないメイだったが、
フクを殴ろうとするあたりでその意味に気づくことになる。

(え!?フクの顔が小さく・・・・・・)

突然小顔になったと思えるくらいに一瞬で、フクは後方へと跳んでいた。
そのせいでメイの攻撃は空振りに終わり、それどころか体勢までも崩してしまった。
そしてフクはメイがフラつくのを確認すると、それ目掛けて強烈な突進を喰らわせていく。
重量感と爆発力を兼ね揃えた体当たりに細身のメイが耐えられるはずもなく、壁際まで吹き飛ばされてしまう。

「痛っ!・・・・・・くそぉ・・・・・・」

自身の実力をほとんど出し切れずに膝をつくことになったのでメイは酷く悔しがる。
フクが強いということは聞いていたが、ここまでとは思ってなかったのだ。
メイが飛ばされた先に立っていた勉強番長カナナン・サイタチープと、体育座りをしていた帰宅番長リナプー・コワオールドも口を開く。

「アカンやろメイメイ、タケちゃんが一騎打ちでいく言うたんやから大人しく見守っとかんと」
「確かにハルナンって人は4人で戦えーって言ってたけどさ、マロさんは休んでいいって言ってたしタケちゃんに任せとこうよ。」
「せやで、ウチらみんなが本気を出すのはマロさんの合図が聞こえてからで十分や。
 それまでにフクって人のデータを取らなあかん・・・・・・"フク・バックステップ"も"フク・ダッシュ"も聞くより実物のがめっちゃ凄い。」
「うん、実際に受けてみてやっと分かったよ・・・・・・あれに対応出来るのはタケちゃんくらいだね。」



◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ 



「タケちゃん、4人でかかってこなくてもいいの?」

フクは装飾剣を前方へと突き出しながらタケに問いかける。
タケも持ち前の動体視力と反射神経で剣を避けては、フクの横っ腹に突きを繰り出していく。
だがどんな攻撃も回避術"フク・バックステップ"の前では無意味。
タケのパンチは虚しくも空を切ってしまう。

「チッまた外した・・・・・・えっと、4人がかりだって?あいつら3人じゃフクちゃんに当てられないでしょ」
「フフ、タケちゃんだってそうでしょ・・・・・・まぁ私もなんだけどね」

二人の戦いがはじまってから数分たつが、まだお互いにクリーンヒットを決められないでいた。
基本的な身体スペックがどちらも高いがゆえに、回避あるいは防衛に長けているというのもあるが、
旧友ゆえに相手がどう出るのかなんとなく予測できてしまっているのである。

「単調な動きじゃ読まれちゃうか、じゃあパターンを変えるね。」

そう言うとフクは剣士の命とも言える剣を空へと投げ捨てた。
そしてタケが一瞬たじろぐ隙に移動術"フク・ダッシュ"で高速接近し、
大きな掌で相手の両腕をガッシリと掴んでしまったのだ。
これはフクが帝国剣士になって覚えた束縛術"フク・ロック"。タケにはまだ一度もみせたことのない技である。
"フク・ロック"による個別握手会を振りほどいた人物は、今までに片手で数えるほどしか存在しない。

「うっ・・・・・・離せよ!」
「離してあげるよ。すぐに!」

言い終わるがはやいかフクはタケに強烈な頭突きをぶつけていく。
そしてタケの力が抜ける一瞬を見極めて、素早く足を払い、豪快に転ばせてしまった。
脳と全身に大きな衝撃を受けたためにここからのタケは先ほどまでのような回避は不可能だろう。
やはりフクは強いなと思いながら、タケは懐から鉄球のようなものを取り出す。

(あちこち痛いけどこれで準備は整った。フクちゃん、さっきまでと同じと思うなよ?)



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先日の作戦会議ではターゲットであるQ期メンバーの特徴・特技について共有が行われたが
フク・アパトゥーマの基礎能力はエリポンのパワーやサヤシのスピード、カノンのディフェンスには及ばないという評価だった。
とは言ってもフクのスペックが著しく低いという訳ではない。全ての能力値が平均以上なのである。
掴んだら決して離さない握力や、キレのあるダッシュ&ステップ、クリーンヒットを貰わない防衛技術、
これら全ての要素が彼女を帝国剣士団長たらしめたのだ。
そしてフクの強さについてタケは、数年前に近隣諸国間で実施された「合同若手育成プログラム」の時点で気づいていた。
かつてのタケは尊敬する従姉妹にあやかってナックルダスターを用いたファイタースタイルをとっていたのだが、
当時プログラムで同じ班になったフクの戦い方を目の当たりにすることで、今のままではTOPに立てないことを悟ることになる。
だからこそタケはスタイルを変更し、鉄球を武器として扱うようになったのだ。
愛用する鉄球、その名も「ブイナイン」ならば勝てると信じてフクへと投げつける。

「フクちゃん、これが"新しい私"だよ。」
(ボール!?・・・・・・しかも速い!)

タケの放つ鉄球は160km/hを超える剛速球だ。
不意打ちに近い形で予想外の武器を登場させたタケに対応出来るはずもなく、フクは自身の胸に直撃してしまう。

「きゃっ!!」

幸いにもフクは人より胸の脂肪が厚いほうだったので一撃KOは免れることが出来たが
激しい勢いで鎧に衝突した鉄球の勢いが死ぬことはなく、上空へと打ち上げられていく。
そしてタケはボールの落下地点を瞬時に見極め、そこへと走っていった。
その行動の意味は、もちろん鉄球をキャッチして第二投を放つためだ。
だがフクだって同じ失敗を繰り返すつもりはさらさらない。

(それがタケちゃんの新しいスタイルなのね、でも結局はただの投てきでしょ?・・・・・・なら迎撃すれば良い!)

フライをキャッチしてはすぐに投球に移るタケに備えて、フクは装飾剣「サイリウム」を拾いなおしていた。
自分目掛けて飛んでくるボールを剣で叩き落してしまおうという考えなのだ。
ところがそんなフクの考えも、タケの球種がファストボールからスローボールへと変化することでおじゃんになってしまう。

(球が遅い!だめ、はやく振りすぎちゃう!!)

剛速球を期待していたところに105km/hの遅い球がやってきたので、フクはタイミングを取ることが出来なかった。
そして剣による妨害をかいくぐった鉄球は、そのまま腹部に衝突する。
苦しいながらもフクはタケより先にボールを拾うことで無力化を謀ろうとも思ったが、
鉄球が予測不可能なくらいに地面を跳ねまわるため、それも叶わなかった。

(フクちゃんは野球なんてやったことないだろ?戦う筋肉はあっても、スポーツする筋肉はないようだな!)



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野球というスポーツについて、フクは全く知らないというわけではなかった。
可愛いと思って目をつけていた、もとい、実力を評価していたとある研修生が
その野球について熱く語ってるところをよく目撃していたので、なんとなくは知っていたのだ。
しかしフクはモーニング帝国やマーサー王国の歴代戦士に関する文献を読み漁る事を趣味としていたため、
実際に野球をやってみたことは無かったのである。
それに対して、タケは野球をはじめとする多くのスポーツをプレイすることを仕事としていた。
それがアンジュ王国スポーツ番長の役目だったからだ。
アンジュ王国は「国王」兼「表番長」が仕事をしないことで有名であり、
業務をサポートすることが、本来戦闘の専門家であるはずの番長とたちの役目となっていたのである。
そんな中でタケの行っている業務は国内のスポーツの活性化だ。
かつての戦乱の時代と比較すると世は平和になりつつある。
国と国の戦いは、戦争からスポーツ大会に取って代わるかもしれないという有識者まで現れるくらいだ。
そこでアンジュ王国はタケを代表者として、いち早くスポーツを強化しようと考えたわけである。
様々なスポーツの複雑なルールを覚えるのは苦手だが、色々と経験したおかげでタケの運動神経は飛躍的に向上している。
特に好みのスポーツである野球ならば誰にも負けない。フクにだって、勝てると信じているのだ。

「そんな球、全部よけてあげる!!」

打ち返すのが不可能だと悟ったフクは、ダッシュとバックステップを多用して回避に専念することにした。
豪速球が到達するまでに避けきるのはなかなかに骨が折れるが、なんとか直撃を免れることは出来た。
ところがホッと一安心したその時、フクの脛に激痛が走る。

「!!……鉄球は避けたはずじゃ!?」
「隠し球だよ。私はルールには疎いんだ、ボールが一つなんて思うなよ?」



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機動力を奪われることで自身の敗北を覚悟したフクだったが、
これから猛攻をしかけるべきであるタケがフラつき、その場で転倒することで状況は変化する。

「うぐっ……ハァ、ハァ、おかしいな……」
(タケちゃん、何もないところでどうして?)

ここでフクは、例の野球好き研修生の熱弁を思い出した。
ピッチャーというポジションは突っ立っているようで実はものすごい体力を消耗している。
本気の投球は全力で空を殴るのと同程度に疲れるし、
常にコントロールを意識すること自体、かなり精神をすり減らすという。
だからピッチャーは他の誰よりも走り込みをするのだと、フクは耳に入れていた。

(そうか、タケちゃんはボール拾いまで自分でやってるから特に疲労が溜まっているんだ。)

フクの思った通り、スローとダッシュ、そしてキャッチを繰り返すタケの体はもうボロボロだった。
9人分の仕事をたった1人でしてるのだから無理も無いだろう。
もちろんそれくらいでヘコたれるようなタケでは無いためまだまだタチアガールのだが、
その疲れきった表情はフクに対策を思いつかせてしまった。

(よし、もっともっと疲れてもらおう!!)

笑みを浮かべるフクを見て、カナナンは頭を抱える。
タケの戦法がスタミナを異常消費することは元から知っていたのだ。

「やっぱり野球スタイルだとこうなるか……タケちゃん、自分は従姉妹とは違うでって言うてもきかんもんな。」
「あの子、手の抜き方が下手なのよ。」
「それは言うたらあかんでリナプー。普通は真剣勝負で手を抜ける人なんかおらへん。
 ウチの知る限り、それで強くなるのはリナプーただ一人だけや。」
「ん、ありがと。」



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場面は変わって城内のとある通路。
そこではKASTの1人、トモ・フェアリークォーツがカノン・トイ・レマーネに睨みをきかせていた。
カノンの鎧を殴って手を痛めたのが相当に悔しいのだろう。

「その鎧がある限りパンチは効かなさそうね。」
「うん、硬さには自信があるし、大抵の攻撃は無駄に終わるんだろうね。」
「それじゃあ私も本来のスタイルを見せるしか無いワケだ。」

そう言うとトモは背中にしょっていた大きな弓を取り出し、カノンの腹へと狙いをつける。
トモは果実の国を守る戦士というほかに、アーチェリー競技の選手という側面も持ち合わせていたのだ。
アンジュ国と同様に果実の国でもスポーツが盛んであり、その中の一つがアーチェリーという射撃競技なのである。
しかもトモは国内8位という優秀な成績を残しており、その実力は折り紙つきだ。
(競技人口についてはここでは触れないことにする。)
そんなトモが力いっぱいストリングを引いて、矢を放つのだから破壊力は想像に難くないだろう。
カノンもはじめは恐怖したのだが、すぐにそれが期待ハズレということに気づく。

「うわ!矢が当た………らない?」

なんとトモの放った矢はまったく見当違いの方向へ飛び、何もない壁に勢いよく突き刺さってしまったのだった。
深くまでめり込んでいるので威力が凄まじいということはよく分かるのだが、
トモとカノンの距離はたいして離れていないというのに、矢はカノンから3m?はズレたところに命中している。
これも作戦のうちかもしれないとカノンは疑ってみたりもしたのだが、
トモが本気で悔しがっているのでそうでもないと分かる。

「くそっ!……まだ修行が足りないってのか……」
「え?キミ、ひょっとしてヘタクソ?」
「なんだと!私だって準備が整えばなあ!!」

トモは声を荒げたかと思うと、辺りをキョロキョロし始めた。
そしてとても大切な仲間を見つけるなり、ニヤリと笑いだす。

「カリンこっち来て!やっぱりあんたがいないと私はダメだ!」
「えっ、トモが頼ってくれてる……嬉しい。」

カノンにはそのカリンと呼ばれる戦士に見覚えがあった。
以前、門を通っていたアザだらけの少女その人だったのだ。
トモとカリンはいつの間にかショットグラスのようなものを手にしていて、
その中には色鮮やかなジュースのような液体が注がれていた。

「じゃあカリン、一杯やろうぜ。」
「うん!じゃあ、せーのっ」
「「ジュースで乾杯!」」



◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ 



「えっ、ジュース?」

これから戦うというのに乾杯なんて始められたので、カノンは驚く。
そして同時にさっきまで以上に警戒するようになった。
それだけトモとカリンを異様に思っているのである。

「あぁ~やっぱり利くな、全身が火照って心臓がバクバクする!!」

ジュースを完飲したトモは急にテンションが上昇し、目の充血もいつも以上に酷くなる。
興奮しすぎるあまり顔が真っ赤に紅潮しているので、まるで大きなリンゴのようだ。
そしてその上昇したテンションのまま、ボウの弦をギリギリと引っ張り
カノンへと強烈な射撃を放っていく。
先ほどと違うと感じたカノンはその場に倒れこむようにして避けたが、それが正解だった。
今回の矢は真っ直ぐに、それでいて高速かつパワフルに飛んで行ったからだ。
壁にもさっきまで以上に深くめりこんでいる。
もしもその場に突っ立っていたら「痛い」では済まなかったかもしれない。

「何を飲んだの?……それ飲んでから変わったよね。」
「ただのリンゴジュースだよ。ちょびっと興奮するだけのね!」

そう言うとトモは第二の矢、第三の矢をどんどん撃っていく。
一撃でも貰うとダメージが大きいのは明らかなので、カノンも回避に必死だ。
しかしいくらトモの矢が高速とは言っても避けられないものではない。
自分目掛けて真っ直ぐ来ることは分かっているし、弓矢の性質からいって連射が難しいため
カノンの咄嗟の判断力と機転があれば十分回避可能なのだ。
だが、それは相手がトモ1人ならばの話。
グレープジュースを体内に取り入れたカリン・ダンソラブ・シャーミンの参戦によって
カノンは窮地に立たされることになる。



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「よし、じゃあそろそろ反撃を……」

十分に矢を回避可能であることが証明出来たので、カノンは守りから攻めへの転向を決意する。
遠距離攻撃使いは接近に弱いのが常なので、トモ目掛けて走ってやろうと考えたのだ。
そうすれば射撃を封じられるし、パンチも元々通用しない。つまり完封勝利が約束されることになる。
それに気づいているからこそ、カリンはカノンを全力で妨害した。

「トモに近寄るなっっ!」
「!?」

カリンが死角から体当たりをかましてきたので、カノンは一瞬だけフラつく。
ぽっちゃり系のカノンと小柄なカリンとでは重量に差があるため転倒することは無かったが、
それでも走行は止められてしまった。
そして現在のカリンの姿を見て、カノンはひどく驚くことになる。

「え!?その身体、大丈夫なの?……」

ジュースを飲む以前と比較して、カリンの全身はドス黒く変色していた。
もともと青アザだらけではあったが、ジュースの成分が内出血の進行を促進することによって
まさにグレープのような色になってしまったのだ。
こんな大怪我人のような姿をしているが、カリンは戦える。

「これでも喰らえ!!」

カリンは自らの腕に勢いよく噛み付き、そこから血を吹き出させた。
そしてその血液を口に含んでは、カノンの目に向けて唾ごと吐きかけたのだ。
一部のじっちゃんにはご褒美かもしれないが、カノンはたまったものじゃない。
相手の出方が分からない以上、目にかかった液体が毒である可能性もあるからだ。

「わわっ!なんだこれ!!」

思えばカリンの肌の色はとても凶々しいものだった。
それはまるで有毒生物が天敵に大して警戒色を示しているかのよう。
カリンが口にした紫色のジュースの正体は毒液で、カリンの身体にはその毒が蓄積されていると思えば筋は通る。
ならばそれを目で浴びたカノンは失明してしまうのではないか?
そのように考えたのたカノンは、必死で目を拭うほかに選択肢は無かった。
だがその選択が誤りであることはすぐ分かるようになる。

「失礼な人!私の血、そんなに汚い?……」

気づけばカリンはカノンの太めの脚にしがみついていた。
要するに彼女はカノンをこの場に縛りつけようとしているのだ。
では何故そのようにするのか?答えは簡単だ。
毒よりずっと恐ろしい、凶悪な弓矢から逃さない以外に理由はない。

「よくやったカリン!これでおしまいだ!!」

トモは「デコピン」と名付けられたボウの弦を引き、カノン目掛けて解き放つ。



◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ 



「で、そのジュースってなんなの?」

作戦会議室ではマロ・テスクがKASTの秘密について問いかけていた。
マロの視線の先にいるのは同じ司令担当のハルナンではない。
KASTに声援を送りにやってきた、果実の国の王ユカニャ・アザート・コマテンテに質問をしたのだ。
ユカニャ王は少し困った顔をしながら、言葉を返す。

「どうしても言わなきゃダメですか?一応国家機密なんですけど……」
「ダメ。だって司令の私が知らなきゃ作戦を立てられないでしょ。」
「でもハルナンさんには教えましたので、それで良いではないですか?」

ユカニャ王のガードの硬さにマロはイラっとしたが、それも仕方のないことだと感じていた。
モーニング帝国の同盟国同士とは言っても、アンジュと果実の国は直接国交を結んでいる訳ではない。
言わば明日には敵同士になるかもしれない間柄なのだ。
そんな相手に手の内を晒すなんて馬鹿のやることだろう。
だからこそマロは大事なカードを切ることにした。

「じゃあカナナン、タケ、リナプー、カナナンの4番長の特徴を教えてあげる。だからそっちもジュースの秘密を教えてくれない?
 ハルナンを確実に王にするための協力よ、私を信じて。お願い。」

マロはアンジュの主力戦士の情報と引き換えにジュースの秘密を得ようとした。
高い買い物にも思えるが、実際はそうでもない。
何故ならマロは国内No.2である自分自身のこと教えるとは一言も口にしていないし、
最近若手で力を伸ばしている「3舎弟」のことも伏せているのだ。
なので、もしも近いうちに戦争が起きたとしても勝てると踏んでいるのである。

「しょうがないですね。そこまで言うなら教えましょう。」

まんまと騙されたユカニャはカバンから綺麗な小瓶を取り出した。
赤、紫、黄、緑、そして桃色の全5種類のジュースがその中には入っている。

「これは私の開発した、人間の潜在能力を引き起こす不思議なジュースなんです。」
「潜在能力?」
「はい。例えば赤色のリンゴジュースを飲めば集中力が飛躍的に強化されますし、黄色のレモンジュースは身体をとても軽くしてくれます。」
「ちょっ、ちょっと待って、リンゴジュースなのに赤色?」
「皮の色です。」
「そうなの。 まぁそれはどうでも良くてさ、集中力とか身体を軽くとか、ヤバい薬じゃないよね?」
「うふふ、100%安全で副作用も中毒性も何もありませんよ。
 私があの子達にそんな危険物を持たせるワケないじゃないですか。」
「そうなの?なんかすごく怪しいんだけど……」
「安心してください。まぁ、強いて言うなら効果が過ぎるのが副作用ですかね。」
「?」



◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ 



「副作用とかではありませんが、一番危険なのはグレープジュースですよね。」

遠巻きに見守っていたハルナンも会話に入ってくる。
実は彼女もおしゃべりをしたくてたまらなかったのだ。

「グレープジュース?これのこと?」

マロはユカニャの手から5本のジュース瓶を奪い取ると、真ん中の紫の瓶を指差した。
いきなり取られたのでムッとするユカニャだったが、 質問されたのでまずはそれに返す。

「はい。紫色のグレープジュースはリミッターを外す効能が有るんです。人間の脳は本来……」
「あー火事場の馬鹿力を引き出すってことね。」
「あ、そうです。ただ、使用後に激痛が全身を襲うのが玉に瑕ですけどね。」
「えっ、そういうのを副作用と言うんじゃ……」
「無茶しすぎると体を壊すのは人間本来の機能です!ジュースの副作用じゃありません」
「あぁはいはい、分かったから分かったから。」

急にプンプン怒り出すユカニャを見て、マロは苦笑いするしかなかった。
王の前でジュースを馬鹿にするのはもう止めようと決意する。

「ほらグレープジュースは怖いでしょう? その反面、メロンジュースは笑っちゃうくらい平和ですけどね。」

ハルナンが笑いながらそう言うので、マロは緑の特徴も気になりだした。
目の前になんでも教えてくれる先生がいるのでこれも尋ねることにする。

「メロンだっけ?これはどういうジュースなの?」
「飲むと眼がよくなります。」
「!」

他と比較すると視力改善というショボい効果なので、ハルナンは分かっていても吹き出してしまった。
だがマロ・テスクは笑うような気分にはとうていなれなかった。
むしろ今日一番の警戒を見せているようだ。

「眼、か……よくもまぁこんな代物を作ったものね。」
「はい、たくさん勉強しましたので。」



◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ 



侮れない技術力だと感じたマロは、最後の1杯をユカニャ王に突き出す。
桃色のピーチジュースについてもどれほど脅威か知っておきたかったのだ。
しかしユカニャ王も今回ばかりは首を縦には振らない。

「ダメです。番長4人の情報で教えられるのはジュース4杯までですよ。」
「え~いいじゃない。なんならあの子たちのスリーサイズまで教えちゃうけど。」
「ははは、でも本当にダメなんです。このジュースはもう使わないって決めたんですから。」
「使わない?・・・・・・」

ユカニャ王の意味深な言動にマロが反応しないはずがなかった。
ここでマロは数ヶ月前の新聞記事を思い出す。

「それって"KAST"がまだ"KYAST"だった時代は使われていたってこと?
 そして、武装集団の名前が"KAST"になったのとほぼ同じ時期に、あなたが王に就任したことも関連している?」
「!!」

ユカニャ王は一瞬驚いたような顔をして、慌てて表情を戻す。
王座に就いた理由を国外に公表していないというのに、核心に迫られたので焦ってしまったのだ。
その焦りを察したハルナンは必死で話題を切り替える。

「まぁまぁ過去の話よりも今日の話をしましょうよ!気になるのはトモさんカリンさんのコンビですよね~
 トモさんなんてただでさえ強そうなのに、ジュースを飲んだらいったいどうなってしまうんでしょうか!?
 さすがのカノンさんも分が悪いかもしれませんね~。」

ハルナンのフォローにユカニャ王はほっとする。
そして作戦室らしく、このマッチアップについての見解を述べることにした。

「はい、タガの外れたカリンちゃんが動きを止めて、そこに集中したトモが矢を放つコンビネーションは鉄板です。
 いくらカノンさんの耐久力が凄いとは言っても、矢を何発も受けて無事という訳にはいかないでしょう。」

自信満々に言うユカニャ王だったが、ハルナンの頭には一つの懸念が浮かび始めた。
それが杞憂で済むことを願いながら、王に問いかける。

「止めると言いましたが、その止め方は、いったいどういうものなんでしょうか?」
「あ、それはまず相手の目を潰すんです。目隠しできればなんでもいいのですが、
 カリンちゃんは自分の血液を飛ばすことが多いみたいですね。
 その後はストッパーの外れた身体能力でその場から動かないように抑えつける、といった流れです。」
「それって、カリンさんを振り解けば動けるのでは?……」
「ふふふ、ジュースを飲んだカリンちゃんの見た目を知らないからそう言えるんですよ。
 あんな姿のカリンちゃんに乱暴するなんて、普通の人なら躊躇します。
 その躊躇っている隙にトモが撃つので問題ありません。」

聞けば聞くほどハルナンは不安になってくる。
今の戦法はフクやエリポン、サヤシには効いたとしても、カノンに通用するとは限らない。
カノンはディフェンスに優れていることで有名なのだが、ハルナンはそれ以外のある要素を前々から評価していたのだ。

(まずいわ……このままじゃトモさんとカリンさん、負けるかも。)



◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ 



場面は戻りカノンとトモたちの戦い。
そこでは渾身の射撃を回避されたトモが呆然自失としていた。

「どうして避けられたんだ?・・・・・・」

結論から言うと、カノンはカリンを振りほどいていた。
カリンのしがみついた側の脚をグッと持上げ、そのまま地面に叩きつけたのである。
常日頃から自重を支え続けているカノンの脚力は相当に発達しており、
体重の軽いカリンごと脚を動かすことくらい、わけなかったのだ。
ノーガードで床と衝突したためにカリンは激痛に苦しまされてしまう。

「ひぃっ!・・・・・・痛い、痛いよぉ!!」

血を拭うことで視力を改善したカノンは大きめの包丁を取り出すと、そのままカリンに切りかかった。
カリンは全身が腫れている上に痛みに耐え切れず泣き出すような少女にしか見えないが
そんなのお構いなしに、カノンは出刃包丁「血抜」で容赦なく捌いていく。

「はい、そこで寝ててね。」

カリンは斬られた胸からシュウシュウと血を流し、その場にガクッと崩れ落ちてしまう。
その出血量から察するに腫れ物の中の血液が流れでた程度で済んではいなく、血管の本流を傷つけられたようだ。
顔色一つ変えずここまでやってのけるカノンを見て、トモは弓矢を持ったままその場に立ちすくす。
カリンを突き放して、胸の深くまで切りかかったことについては体重差と剣の技術で説明がつくのだが、
観音のようなスマイルの似合うカノンが、こんなにも可哀想な見た目をしているカリンにここまでしたのが信じられないのだ。

「さて、次は君を切ればおしまいかな。」
「ま、待って、どうしてそんなことが出来るの!可哀想と思わないの!」
「何言ってるの?・・・・・・敵を斬るのは当たり前でしょ」
「だって、そんなに全身が腫れて、痛そうで、可哀想な女の子に対して・・・・・・」
「その子も戦士なんでしょ?そりゃ斬るよ」

顔色ひとつ変えず一歩一歩こちらに向かってくるカノンを見て、トモは相手の性格を見誤っていたことを痛感した。
モーニング帝国剣士は全員が平和ボケしている集団で虫も殺せないと思っていたのだが、
目の前にいるカノン・トイ・レマーネはそうではなかった。
帝国剣士屈指のリアリストであるカノンには、カリンを盾にした策は通用しないのだ。



◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ 



直情タイプが多いQ期団だが、唯一カノン・トイ・レマーネだけは冷静な性格をしていた。
普段の日常会話ではおちゃらけてはいるものの、それはあくまで場を盛り上げるため。
フク、エリポン、サヤシがボケた時には瞬時にツッコミに回ることからもそれが分かるだろう。
何事にも惑わされず常に本質のみを捉えることが出来るのが彼女の利点なのである。
また、人はカノンの耐久力の高さを恵まれた体型や重厚な鎧のおかげだと言うが、実際はそうではない。
相手の行動や周りの状況を察知し、常に頭を働かせて次の行動を予測するからこそ無駄な負傷が少ないのだ。
考えすぎるあまり「グレープジュースは毒入り」のように思ってしまうのが唯一の欠点ではあるが、
そこまでとことん最悪の可能性を想定するからこそ、現に彼女は生き残っている。
予想外の事態には弱いが、予想内には十分な対処を行うことが出来る。
また、彼女にはトーク力もあった。

「いやね、君たちの戦い方は合理的だと思うよ?
 トモって呼ばれてたっけ、キミ。 本当は仲間思いなのにあえて虐めっ子のフリをしてるんでしょ。
 そうした方が、その、カリンちゃん?、がもっと可哀想に見えるもんね。」
「は!?・・・馬鹿いわないで!」

思いがけないカノンの分析にトモはギョッとした。
自分はただ勝利のためにカリンを利用していただけなので、そのように言われるとは思いもしてなかったのだ。
ジュースを飲んだ時以上に顔が火照ってくるトモを見ながら、カノンは続ける。

「自分のことは自分でも分からないもんだよ。じゃあ証拠を見えてあげようか」

そう言うとカノンは床に倒れていたカリンの首根っこを掴み、自身とトモの直線上に付きつけた。
つまりカリンをトモの弓から自身を守る盾にしたと言う訳だ。
とんでもないことを考えるカノンに、トモは恐怖する。

「な、何をやって・・・・・・」
「撃ってみなよ。本当の虐めっ子だったら躊躇しないで撃てるでしょ?」
「!?」
「鎧を貫通するくらいの威力が有るんだから、この子の薄い身体くらい貫けると思うんだけどね。
 これはね、キミが私を倒せる最後のチャンスなんだよ。 カリンちゃんを貫通して私に当ててみな。」

トモは電気のようにビリビリとしたものが全身に流れるのを感じる。
確かにカノンを倒すには今言った方法をとるしかないだろう。しかしそんなことを出来る訳がない。
ただでさえ胸から流血するカリンを射抜いてしまったら、命を奪うかもしれないからだ。
何も出来ず黙りこくるトモだったが、そこにカリンの叫び声が聞こえてくる。

「トモが虐めっ子じゃない訳ないだろ!!すぐに私ごとあなたを撃ち殺すんだから覚悟しな!!
 ねぇトモはやくしてよ、こいつがビビッて私を放す前に、強烈なのをお願い。
 トモなら、出来るよ!」

トモはさっきのカノンの言葉以上に、カリンの犠牲精神に衝撃を受けた。
何故カリンが自分の命を犠牲にしてまでカノンを倒したいのか、モチベーションはどこにあるのか、それは分からないが
ここで撃たなければ本当の戦士ではないということは分かったのだ。
そして、そう気づいたトモは弓と矢を床に落としてしまう。

「私は戦士じゃなかったや・・・・・・ごめんねカリン」

武器が捨てられるのを確認したカノンは、すぐにカリンを投げ捨ててからトモに接近し、ローキックをぶちこむ。
様々な思いが入り混じったトモの膝の震えは相当のものであり、強烈な蹴りには到底耐えられなかった。
骨から鈍い音をだし、その場に倒れこんでしまう。



◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ 



「私の勝ちだね。じゃあ色々教えてもらおうか……」

カノンは出刃包丁をトモの喉元につきつけた。
自分同様に襲われているかもしれないフク達に加勢するため、情報を聞き出したいと考えているのだ。
だがそれも、カリンの突然の叫び声でかき消されることになる。

「トモが負けるはずがないだろ!絶対に負けないんだ!」

カリンはまだ立ち上がり、背後からカノンの後頭部にパンチを当ててきていた。
重傷のカリンが襲ってくるとは想定していなかったため、カノンは直撃をうけてしまうが
すぐに振り返り、応戦の体制をとる。

(やられた……頭がグワングワンする、吐きそう……でもなんとかしなきゃ!)

カノンは流血する胸に目掛けて出刃包丁を突き出した。
以前食らった恐怖でカリンが臆するのを期待して、同じ場所を狙ったのだ。
ところがカリンは臆するどころか激しい勢いで体当たりを仕掛けてくる。
自身の胸が切られるのも構わず、敵を倒すためにカリンは全力で衝突する。
とは言えカリンの体重はカノンを押すにはあまりにも軽すぎた。
カノンの体重と脚力さえ有れば問題なく耐えきることが可能である。
もっともそれは通常時の話。
今置かれている状況は少しばかり特殊だった。

(え!?足が、スベる!!)

踏ん張ろうと脚に力を入れるカノンだったが、床にはカリンの血液が多量にこぼれ落ちていた。
ゆえにカノンは持ちこたえることが出来ず転倒してしまう。
しかも、先ほど殴られた後頭部から落ちたので状況は最悪だ。

(凄い……ヤバい……頭が働かないんだけど……)

頭を二回も打って危険な状態にあるカノンだが、カリンは決して容赦しない。
最後までフルパワーで戦い抜くのが戦士としての礼儀だからだ。
戦士カリンは拳をぎゅっと握ると、床に転がるカノンへと振り落とす。
狙いは硬い鎧で覆われていない顔面だ。
腕の骨が全部折れてしまうほどの、ストッパーの外れた強烈な突きで、カノンの鼻をグシャグシャにする。

「ぐぁ!!……」
「やった!勝ったよトモ!!トモは負けなかったんだ!」

トモは信じられないといった顔でカリンの勝利を見ていた。
囮役でしか無いと思っていたカリンがこんなに強いなんて知らなかったし、
普段からストレス解消の道具にしていたカリンが自分のためにこんなに頑張ってくれることも意外だったのだ。
そして何よりも、カリンの勝利を心から喜んでいる自分に驚いている。

(カリン・ダンソラブ・シャーミン……お前はいったい何者なんだ?
 どうしてそんなに強くて、頑張れるんだ……)

トモには聞きたいことがたくさん有ったが、質問は許されなかった。
グレープジュースの効き目が切れ始めて、カリンがフラついてきたからだ。
活動を維持するには血が足りなすぎたのである。

「おいカリン!大丈夫か!?」
「あはは、ごめんトモ、ちょっと眠いかも……」

誰よりも敗者のような見た目をしている勝者は、安らかな顔で眠りに落ちていく。
その寝顔はとても満足気だった。



◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ 



一方その頃、女子宿舎ではハル・チェ・ドゥーがサヤシ探しに必死になっていた。
無計画にあちこち探しても埒が明かないので、ハルは協力者を増やすことにする。

「ねぇ、サヤシさんを見つけたら僕に教えてくれないかな?」
「は、はい!」
「ふふ、良い子だね。」

その協力者とは研修生たちだった。
ハルは若い子を見つけるなり無差別に壁ドンをしてお願いしていく。
研修生はモーニング帝国剣士、特にハルに憧れている者が大多数なので、
エンジェルフェイスを近づけられて頼まれたら断ることなど出来るはずもなかった。
みんなハルに喜んでもらいたい一心で宿舎中を駆け回っている。
その光景を目の当たりにしたアーリー・ザマシランは興奮気味にに喋りだす。

「すごいですねぇ~!ハルさんって人気者なんだなぁ~」
「違うよアーリーちゃん、あれは女たらしって言うんだよ」
「へー女たらしなんですかー」

アーリーとマーチャンが働きもせずアレコレ言うので、ハルはイラついてくる。

「おいおいなんだよ、二人とも何もしてないじゃないか。
 ハルはちゃんと仕事してるんだぜ?ちょっとくらい褒めてくれてもさぁ」
「べー」
「マーチャン・・・・・・」

ここで怒りに任せて怒鳴りつけるのは簡単だった。
だがそれではいつまで経ってもハルはマーチャンに舐めらたままだ。。
なので今回はアプローチを変えて、マーチャンに壁ドンをしてみることにした。
オラオラ系の面を出せば従ってくれるかもしれないと思ったのだ。

「マーチャン、ハルに構ってもらえないからってすねてるんだろ?素直になれよ」
「うわぁ・・・・・・」
「ちょっ、普通にヒくのはやめて!」

いつも女子にモテモテなハルだが、同じ天気組からの扱いはとことん悪い。
おそらく普段のハルをずっと見てきたので恋愛のような感情は湧かないのだろう。
そうだというのに壁ドンをしてしまったので、ハルは自分で自分が恥ずかしくなってくる。

「もういい!次いこ次!女子寮にいないならきっと男子寮にいるんだろ!」
「サヤシすんが男子寮にいくかなー」
「うるさい!行くったら行くんだ!」

この時ハルは気づいていなかった。
怨念のこもった眼でハルを睨み続ける存在がいることを。



◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ 



「ドゥーさん壁ドンを安売りしすぎ!」

ハルに送られた視線の主は、隠し部屋から覗いていたクールトーンだった。
研修生たちが次から次へとスキンシップをとるので、彼女の嫉妬心はとどまることを知らない。
だがクールトーンは王の書記係という大事な業務の真っ最中だ。我慢するしかない、

「くそぅ……サユ王さえ居なければ……」
「ちょっと!自分で何言ってるか分かってるの!?」

普段はしっかりしているのにハルのこととなると頭のネジが何本も外れるので、サユ王も困ってしまう。
このまま監視し続けると本気で命を狙わねかねないため、サユは場所の移動を提案する。

「はいもう女子寮は終わり。次はお城の子たちを追いましょ。」
「ドゥーさん達は男子寮に行くって……」
「あっちの宿舎はみんな平気で裸だったりするのよ。クールトーンちゃん、色んなものが見えちゃうかもしれないけどいいの?」
「う……遠慮します。」
「ていうかそもそもあっちには隠し部屋なんて作ってないの。女子寮は全員分の寝室を監視できるように頑張ったけどね。」
「えっ……私の部屋もですか?……」
「……はやくお城に行きましょう。みんなが無事か心配だわ。」
「え、え、」

宿舎を後にするサユだが、実は彼女は残念に思っていた。
可能であれば、アーリーの戦いをクールトーンに見せてやりたかったのだ。

「サヤシとの対決が実現してたら、アーリーの"眼"を使った戦い方を見れたのにね。」
「眼?……なんですかそれ」
「今はその言葉を使う人も減ってきたけど、普通の人とは違うものが見えることを"眼"を持つというのよ。」

サユの表情が真剣になってきたのでクールトーンは高速筆記を開始する。
これから話す内容は重要であると感じたのだ。

「超能力……ですか?」
「近いけどちょっと違う。"眼"は訓練次第で誰でも手に入れることのできる技能なの。
 何千、何万と同じことを繰り返し続けることで、悟りが開かれるのよ。
 だから"眼"で見えるものは個人によって様々。
 かつては相手の弱点が見えたり、他人の視線の先が見えたり、道具の脆いところが見えたりする人がいたわ。
 そんな彼女たちがみな例外なく強かったのは言うまでもないわね。」
「へぇ~、私も"眼"が欲しいです!」
「頑張ればいけるかな?ただ、現役の帝国剣士に"眼"を持つ者は一人としていないけどね。」
「えーーー!じゃあ私には無理だぁ……」

ちょっぴり期待していたのでクールトーンはガックリする。
あんなに強い帝国剣士でも駄目なので、いち研修生の自分が"眼"を持つイメージなど到底浮かばない。

「じゃああのアーリーって人は凄いんですね……
 あれ?サユ王はどうしてアーリーさんが"眼"を持ってるって知ってるんですか?」
「さぁ?眼がいいんじゃない?」



◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ 



男子宿舎にハル、マーチャン、アーリーがズカズカと入ってきたため一般兵たちはひどく驚く。
特にハルとマーチャンはこんなに若くても一応上官なので、失礼にならないよう必死だ。

「ハル様、マーチャン様、今日はいったい?……」
「サヤシさん来なかった?急いでるからさっさと答えて」
「いえ、サヤシ様は男子寮には来ないと思われますが……」
「お前の考えを聞いてるんじゃないんだよ!居たか居ないかだけ教えろ。
 それからお前ら全員僕についてこい!捜索隊の結成だ!!」
「ええ!?そんな急に……」
「言うことが聞けないのか?僕を誰だと思ってる?
 モーニング帝国剣士が一人、ハル・チェ・ドゥーだぞ。」
「は、はい!今すぐ人を集めます!」

ハルの兵士に接する態度は、女子へのそれとは大きく異なっていた。
研修生と話すときはとても優しいが、男に対しては鬼そのものである。
この権力を振りかざすやり方が目に余るので、ハルナンやアユミンがよく注意をするのだが
今は制するものが誰もいなかった。
そのため、兵士たちのフラストレーションはどんどん溜まっていく。

「くそっ、ガキのくせに偉そうに……」」
「おい聞こえるぞ!ハル様には従っておけ。さもなけりゃ……」

ハルの機嫌を損ねたら恐ろしい制裁が待っていることを彼らはよく知っていた。
老兵らをはじめ、男性兵の中にはハルに不満を抱いている者が大多数だが
暴力が怖いのでただただ従順になるしかなかったのである。
そんな光景を見て、アーリーが興奮気味に喋り出す。

「凄いんですねー。ハルさん偉いんですねー。」
「違うよアーリーちゃん。あれは横暴って言うんだよ。」

マーチャンの表現は今のハルを表すのに的確だった。
そのため、あろうことか一人の老兵が笑いを堪えきれず吹き出してしまったのだ。
慌てて口を抑えるがもう遅い。ハルにその姿を見られてしまった。
ハルは竹刀を老兵に突きつけては、怒鳴りだす。

「じっちゃん何笑ってるんだよ……教育的指導が必要なようだな!!!」

ハルは老兵の背中に何発も、何発も剣の振りをぶつけていった。
他の帝国剣士が扱う剣と違って、ハルの扱う竹刀には刃がない。
そのため老兵の背中が斬られることはないのだが、痛いことには変わりはない。

「おりゃ!おりゃ!おりゃ!うりゃ!僕は男の子だぞ!おりゃあああ!!!」

ハルは1分間、気が済むまで兵を叩きまくった。
このようや指導を受けた老兵が無事で済むはずもなく、グッタリとしてしまった。



◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ 



城外広場ではエリポン・ノーリーダーとアユミン・トルベント・トランワライが激闘を繰り広げていた。
この二人の剣技は全くの互角。
ゆえに開戦からかなりの時間が経つというのに勝負を決めきれていなかった。
エリポンとアユミンのどちらも、相手の予想外の奮闘に驚いているようだ。

(アユミンはチョロチョロするだけで剣は軽いと思っとったけど、意外とやりようやん。)
(エリポンさんただのパワー馬鹿じゃなかった。こんなに機敏に動けるなんて!)

Q期団と天気組団は協力して戦ったことが殆ど無いので、お互いの情報は日々の訓練でしか得ていなかった。
その場で剣士らが握るのは扱いやすい代わりに殺傷能力の低い模擬刀。
そのため、愛刀を扱った時の真のポテンシャルは把握していないのだ。
エリポンの愛刀は師匠(とは言っても向こうは弟子とは認めていないが)から譲り受けた打刀「一瞬」だ。
この刀は通常のものと比較するとやや小さく軽いため、とても振りやすい。
師匠のように「音速を超える」ことはさすがに出来ないが、
エリポンは持ち前のパワーと合わせることで強く速い一撃を振り続けることが出来るのだ。
対してアユミンの愛刀は、彼女の身長ほどもある大太刀だ。
北部出身の彼女は、地元の歴史上人物が扱っていた刀である「振分髪政宗」の名を自身の大太刀にもつけている。
これだけ得物が大きいと扱うのも大変だが、アユミンはお得意の舞踏のような体捌きによって
自身の体の一部のように自在に扱うことが出来ていた。
このようにしてエリポンは振りの遅さを、アユミンは非力さを愛刀によって補っている。
だがそのせいで二人の実力が妙に噛み合ってしまい、剣を押し切ることが出来なかったのだ。
こうなればもう実力を温存する意味は薄い。
アユミンは一旦後ろに退いては、エリポンを罠にかける準備を開始する。
彼女が天気組団の「雪の剣士」と呼ばれた由来でもある技を披露するつもりなのだ。

(行くよエリポンさん、私の前では誰もがスベってスベってスベりまくるんだ!!)



◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ 



「逃げても無駄っちゃん!」

エリポンは後退したアユミンをすぐさま追いかけた。
彼女の足の速さがあればすぐに追いつき、また斬りかかることが出来るだろう。
だがアユミンも本気でエリポンから逃げようなどとは思っていなかった。
追いつかれると同時に、今度は逆にエリポンの側へと前進したのだ。
この後退と前進のコンビネーションを見て、エリポンは団長フクの戦い方を思い出す。

(これはフクのバックステップ&ダッシュ!?だったらまずい!)

エリポンは訓練にて何度もフク・ダッシュによる体当たりを受けていた。
その爆発力はそうとう泣かされたので、エリポンは必死で身構える。
だが、当然ながらアユミンの技はフクのそれとは違っていた。
前に来たかと思えば、またすぐに後ろに下がったのだ。
意味の無いように見える行動に混乱するエリポンだったが、他に道が無いために再度追いかける。

「もうなんなの!?待てーーー!」
(エリポンさんハマったな、よし、ここでキレ全開だ!)

アユミンは前後左右へのステップの回数とスピードを更に増加させる。
彼女の凄いところは大太刀を握りつつもこれだけの激しい移動が出来てしまう点だ。
刀の重量で比較すると軽いはずのエリポンの方が、めまぐるしく変化するダーイシの場位置に対応できず、疲労してしまう。

「はぁ…はぁ…もう動かんで!止まって!!」
「分かりました。」
「えっ、わっ!」

あれだけ動き回っていたアユミンが急に止まったので、エリポンは驚き、前方につんのめってしまう。
転んでたまるかと必死に踏ん張ろうとしたが、踏まれる側の地面がそれを許さなかった。
なんとエリポンとアユミン達の足下は、まるで誰かに整備されたかのようにツルツルだったのだ。

「うえぇ!!な、なにこれ~」
「磨いたんですよ。たった今、私がやったんです。」

2人がいたのは屋内でもなんでもない広場のはずだった。
ところがアユミンは持ち前の足捌きによって大地を均してしまったのだ。
予測不能なアユミンの移動術に翻弄されたエリポンにこの摩擦の少ない環境で踏ん張ることなど出来るはずもなく、
盛大にスベってしまう。
まるで氷のようにスベりやすい地面を作るからこそ、
アユミンは天気組団の中で「雪の剣士」と呼ばれていたのだ。

(転んじゃったらもう私の刀を防げないよね?これで決める!!)



◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ 



どんなに強い者でも体勢を崩されたら隙が生じる
アユミンは戦場を極端にスベりやすい場に作り変えることで、つけいる隙を増やしたのだ。
この状況でまともに立っていられるのはスベり慣れしているアユミンただ一人。
今回も圧倒的優位に立ってエリポンに勝とうとしたのだが、
エリポンが奇妙な動きを見せることでその計画は崩れてしまう。

(ここで転んでたまるかー!)

前方に倒れこんだエリポンは刀を持たぬ左手を伸ばして、ツルツルの地面に当てていく。
そしてそのままの勢いで逆立ちをし、腕の力で上方へと舞い上がったのだ。
転ぶかと思いきや逆に空を跳んだエリポンを見て、アユミンは目を丸くする。
あまりに驚きすぎて、空中からの打刀による斬撃に反応することが出来なかった
薄い胸板をサクッと斬られてしまう。

「アユミン隙あり!」
「ぎゃあ!」

フクやカノンならなんともない斬撃も、アユミンには不公平ながら致命傷。
激痛を感じながらも慌てて後ろに下がっていく。
空から地に落ちたエリポンはさすがにスベって転んでしまったが、そこに追い打ちをかける余裕は無かったのだ。

「はぁ…はぁ…今の動きはいったい……」

エリポンが行ったのは新体操というスポーツの技である、ハンドスプリングを応用したものだった。
アンジュや果実の国のようなスポーツに力を入れている国の者ならば見覚えもあっただろうが、
モーニング帝国はスポーツに割く予算が少ないため、アユミンは知らなかったのだ。
(余談だが数代前のヨッスィー帝王時代はフットサルやキックベースなどの競技が盛んだったらしい。
 国内に野球ファンが何人かいるのもキックベースの影響だとか。)

「ふふふアユミン、エリが何をしたのか分からんっちゃろ。」
「なんかちょっとだけ空を跳んでいたような……あんな舞踏技術あったっけ?……」
「アユミンが知らんのも無理もない。だってエリが使ったのは魔法だから!」
「ま、まほう!?」
「飛行魔法っちゃん。魔法剣士エリポンはまだまだたくさんの魔法を持っとるけん、楽しみにしといてね!」

エリポンは独学で世界各国のスポーツを学んでいた。
秘密特訓で得た知識と技術が彼女には備わっている。
スポーツを知らぬ者には、各競技の固有の動きはまるで魔法のように思えるだろう。



◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ 



この世界には舞踏、つまりはダンスの技術を戦闘に取り入れる者が多く存在した。
相手の攻撃を回避することはもちろん、自身の得意な間合いを保つのにもダンスのステップは役立つのだ。
またダンスは全身運動であるため「最後まで戦い抜く」ための体力も強化することが出来る。
ゆえに舞踏の専門家であるQ期団のサヤシと天気組団のアユミンは周囲から一目置かれていたのだった。
(話によるとマーサー王国の食卓の騎士にもダンスの達人が2人いて、どちらも只者ではないらしい。)
しかしアユミンはダンスを重視する反面、それ以外の身体を強化する手法に関してはとても疎い。
ましてやスポーツが戦闘能力に密接に関わっているなんて思いもしなかったのだ。
そんなアユミンにとって、エリポンのスポーツ戦法は魔法でしかない。
だからこそ嘘っぽい虚勢にも大きく反応してしまう。

「魔法って本当にあったんだ!!エリポンさんすごい!」

尊敬の眼差しに照れるエリポンだったが、ここで悦に浸っている場合ではない。
得意の魔法で畳み掛けて早々にアユミンを仕留めなくてならないからだ。

(足下が不安定すぎて、出来るスポーツの幅が狭かね。
 西部地方で流行ってるスケート競技ならツルツルの上でも問題無いっちゃろけど、エリには出来ん。
 じゃあこの状況で何をすれば……?)

エリポンが次の手を考えるより早く、アユミンが動きだした。
彼女はスベることを怖れず、エリポンのもとへと走っていく。
地面の摩擦が無いためにアユミンは常に前のめり。だがそのおかげで勢いがついて、高速移動を実現している。
このようにスベることを利用できるのはアユミンだけの特権なのだ。
アユミンは太刀をグッと構え、エリポンへとぶつけていく。

「魔法を使うヒマなんて与えない!喰らえ!!」

迎撃しようと打刀を構えるエリポンだったが、この地面ではどうしても力を出し切れなかった。
足下がスベりやすいので踏ん張ることができないのだ。
直撃は間逃れたものの、高速で迫る太刀を受け止めきれずに後方へと吹っ飛んでしまう。
無論受け身をとることもままならないため、着地時に背中を強打する。

「ぐぅ……痛ぁ……」
「おや?今度は空飛ぶ魔法を使わなかったんですね。」
「まぁね、同じ魔法ばかりじゃ芸がなかとよ。あえてよ、あえて。」



◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ 



吹っ飛ばされはしたが、おかげでエリポンはアユミンのある特徴に気づくことが出来た。
アユミンは太刀による斬撃、つまりは接近することでしか攻撃出来ないと言うのに
1回当てるたびにエリポンからわざわざ距離をとっているのだ。
反撃を恐れている、とか、勢いをつけるために助走が必要、とか理由は様々だろうが
なんにせよ向こうが離れているのであればやりようはある。

「これがエリの地属性魔法!」

エリポンは腕の筋肉に力を入れて、掌を思いっきり地面へと叩きつけた。
これはバレーボールのアタックそのもの。一つ異なるのはエリポンの人間離れしたした怪力で放たれたという点だけだ。
いくらツルツルだろうと地面は地面。
激しい衝撃を受けた大地は、轟音とともに砕けていった。
半径2メートル弱の足場に亀裂を入れたエリポンを見て、アユミンはビビってしまう。

(なんて魔法だ!地割れを起こすなんて信じられない!
 どうしよう、あの魔法を使われると地面がザラザラになっちゃう……)

アユミンの考える通り、エリポンの足場はもうツルツルではなかった。
粉々になった土やら石やらのおかげで立つのに十分な摩擦を生んでいるのだ。
しかし、エリポンはこの魔法を多用するわけにはいかない。
硬く均された大地に力一杯のビンタを喰らわせるようなものなので、
いくらエリポンが屈強な肉体を持ってるとは言っても、骨や筋肉への負担が大きすぎるのだ。
ゆえに使えるのは足場を安定させる用途の今回限り。
本当にアユミンを仕留めるための魔法は別に用意している。

「次は風属性魔法っちゃん。エリの斬撃は風の刃を発生させる。」

そう言うとエリポンはゴルフのクラブを扱うかのように打刀「一瞬」を振りかぶった。
もちろんエリポンに風の刃など起こせるわけがない。
刀を足下の小石に当てて、それをゴルフボールのようにアユミンへと飛ばそうと考えているのだ。
しかし、アユミンだってただでもらう気はさらさらなかった。
風の魔法は本気で怖いが、ダンスで培った柔軟性を活かして避けてやろうと思ったのだ。

(私は天気組団の一員なんだ。どんなに見苦しい格好になったとしても、食らいついてみせる!)



◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ 



アユミンは先ほど見せたように、地面のスベりを活かしてエリポンへと接近した。
そのスピードはただ走るよりも速い。ゴールまで数秒で達してしまうだろう。
それでもエリポンの打刀の振りのほうがずっと速かった。
刀の切っ先はあっという間に地へと達し、狙い通りに石に衝突する。
このままアユミンにぶつかって試合終了。KO勝ちというのが狙いなのだ。
しかしアユミンも無策でスベっている訳では無かった。
ゴルフスイングのことは分からないが、風の刃は空の高いところを通るだろうと予測していたのだ。

(このタイミングで、低く!)

アユミンは頭をガクッと下げて、低い姿勢で滑走を続行する。
この姿勢ならば打ち上げられた石は当たらないし、より不安定な姿勢になることでスベりの速度も加速する。
言うならば攻守に優れた走行法をとっているのだ。
常人ならばなかなか無理のある動きだが、アユミンのしなやかな身体がこれを可能にしている。
エリポンがゴルフを元ネタにした魔法を使う限りはこの方法で防げるだろう。

(でも、これはゴルフじゃなかとよ。)

エリポンの打った石は、ゴルフボールとは全く異なる軌道を突き進んでいた。
それは天高くではなく、低く、低く。
まさに氷上をスベるかのように地面スレスレを直進していたのだ。
エリポンが行ったスイングはゴルフのものではない。
北部地方でしか行われていない、モーニング帝国ではマイナーなスポーツだったのである。

(氷上の格闘技アイスホッケー!ツルツルの上ならこれしかない!!)



◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ 



石はアユミンの膝こぞうにクリーンヒットした。
大抵の者は痛みに苦しむか、あるいは魔法の存在を痛感して退いてしまうのだろうが、
アユミンはそうはしなかった。
突然の痛みに驚きはしたものの、「前へ前へ」の精神を崩さなかったのだ。
もともと天気組ではアユミンは切り込み隊長のような役割を担っている。
条件が揃わないと強さを発揮出来ないハルナンや、
実力はあるものの気分にムラっ気のあるマーチャンや、
1人では弱すぎて何も出来ないハルや、
何を考えているのか分からない、油断ならないオダでは
真っ先に前線に立って勝ち星をあげることは難しい。
まさに「アユミンの代わりは居やしない」ことをアユミン自身が理解していたのである。
ならばいくらエリポンの魔法が怖かろうと、今にも決着のつきそうなこの正念場で逃げることは出来ない。

(私の任務はエリポンさんの足止め。でもそれだけじゃダメ!
 みんなを魔法から守るために、ここで決めなきゃ。)

アユミンの強い思いが天まで登ったのか、ここで奇跡が起こった。
結果的に石を膝に受けて転倒してしまったのだが、
摩擦の無い地面上で前傾姿勢を取っていたせいか、勢いよく前方に身体ごと突っ込んで行ったのだ。
超低空姿勢と、アユミンの空気抵抗のまったく無いフォルムが相まって、氷上をスベる以上の高速移動を実現していた。
その姿が何に似ているのか、エリポンはよく知っている。

(これは、ヘッドスライディング!!)

スポーツ素人のアユミンがここに来て野球の技術を見せてきたのでエリポンは驚愕した。
このままでは太刀で斬られてしまうので、持ち前の振りの速さで対抗するのだが
刀に刀をぶつけることは出来ても、今のアユミンの剣威を抑えることは出来なかった。
いくら両者の剣の実力が同等だろうと、迷わず一直線に振った斬撃と、慌てて合わせにいった斬撃とでは、重みが違うのだ。
足場はしっかりしているというのに、太刀が重すぎるあまり後方へと倒れ込んでしまう。
受け身を取る暇すらなかったのめ本日何度目かの背中打撲に見舞われる。

「あ゛あ゛っっ!!」

アユミンは起き上がり、呼吸することもままならないほど苦しんでいるエリポンの前に立つ。
そして、トドメだと言わんばかりに大太刀を振るうのだった。
とは言っても命まで奪うつもりは毛頭無い。
ハルナンからそういう指示があったという理由もあるが、アユミン自身、味方を手にかけることはしたくなかったのだ。
だがそれが仇となった。
殺す気で振っていれば、突如現れた刺客に剣を止められることもなかったはずなのだ。
アユミンが振り終えるよりずっと速く、正体不明の刃がぶつけられていく。

「え!?…あ、あなたは!」
「なんじゃその剣は?全く心がこもっちょらん。」



◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ 



「サヤシ……どうしてここに……」

エリポンは目の前に現れた仲間の名をかすれた声で呼ぶ。
その者こそQ期団の1人、サヤシ・カレサス。
奇しくもエリポンやアユミンと同じ「刀」を扱う剣士だった。
その腕前は凄まじく、彼女の通った後は草木も残らないと噂されている。

「どうしてって、そんなのエリポンを助けに来たからに決まっちょる。」
「サヤシ!」
「大体エリポンの戦い方はまったくなっとらん!なんじゃあの変な動きは。
 どうせまたボロ負けしよると思って、ウチが助太刀に来たんじゃ。」
「サヤシ……」

サヤシは前々からエリポンには厳しかった。
同期のフクやカノンには甘々な声で接するというのに、何故かエリポンにだけこうなのだ。
このように言い合っている二人を見て、ただならぬ心境なのがアユミンだ。
計画上ではハルとマーチャン、そしてアーリーがサヤシを抑えるはずなのに
それらを物ともせずここに来るサヤシが脅威でならなかった。

(あの3人がやられたってこと!?秒殺で?信じられない!
 サヤシさんは強いとは聞いてたけどここまでとは……
 怖いけど、今すぐここで仕留めなきゃならないんだ!!)

アユミンはサヤシがエリポンの方を向いているうちに、不意打ちに近い形で斬りかかった。
サヤシの刀はいつの間にか鞘に収められているので、仮に気付かれたとしても即時に対応出来ないと踏んだのだ。
これでサヤシを斬れば残りはエリポンただ一人。計画に何の問題もなくなる。
だがアユミンは恐怖と焦りで大事なことを失念していた。
サヤシはモーニング帝国剣士最速であることを、
そして、その最速と呼ばれている最大の理由が超高速の振りを実現する居合術であるということを忘れていたのだ。

「はぁ!!」

アユミンの気配を感じ取ったサヤシは鞘から刀を瞬時に抜き取った。
その抜刀のスピードは並ではない。
迫り来ていた大太刀をあっという間に受け止めたことからもそれが分かる。

「そ、そんな……」
「ほう?今回のはなかなか良い一撃じゃ。心が感じられよる。」



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サヤシの刀が速いだけではないことを、剣を通じてアユミンも理解する。
アユミンの大太刀「振分髪政宗」と比べると小ぶりだというのに、サヤシの刀はぶつけられてもビクともしない。
体幹がしっかりしているというのもあるが、要因としては居合術の精度が極まっていることの方が大きかった。
彼女は幼少の頃から地元ヒロシマ地方で、居合の達人である叔父に稽古をつけてもらっていた。
居合は鞘の中で刀を滑らせて、抜刀時にいかに強く速く引き抜くことが出来るかが大事なのだが
そのいろはを徹底的に叩き込まれたのだ。
免許皆伝し叔父にから居合刀「赤鯉」を譲り受けた時には、一族自慢の赤鯉女子になっていたと言う。
そして、サヤシの魅力はそれだけではなかった。

「次はこっちから行かせてもらうけぇの。」

そう言うとサヤシは一瞬にしてアユミンの視界から消え去った。
もちろん本当に消えた訳ではない。
地面に背中から倒れ込んでは、その勢いを回転力に変換し
起き上がるとともにアユミンの右側へと回り込んだのだ。
これはブレイクダンスと呼ばれる舞踏の一種を応用したもの。
サヤシはダンスによって予測不能なまでに動き回り、且つどの体勢からも抜刀することが出来るのだ。
アユミンがサヤシの存在に気づくより速く、胸に目掛けて刀を振るう。

「終わりじゃ!!」
「ひえっ!」

死に物狂いで避けるアユミンだったが、訓練時に模擬刀を扱うサヤシとはスタイルが異なりすぎたために
対応しきれず胸を斬られてしまう。
前にエリポンにもやられた箇所なので、ダメージの蓄積は相当なようだ。
だがサヤシ自身はこの一撃にあまり満足していなかった。

「ん?本気で胸を切り落とすつもりで斬ったんじゃが……久々の真剣で腕が落ちたか?
 訓練ではフクちゃんやカノンちゃんにちゃんと当てられるのに不思議じゃのう。
 まぁ、動けなくなったところを確実に仕留めればええ話じゃ。」

胸を切り落とすなどと、恐ろしいことを平気で言い放つサヤシにアユミンはゾッとする。
今まで自分は相手を殺さないように戦ってきたが、サヤシはそう思っていないと分かったのだ。
サヤシは異常なまでに真面目でストイック。お遊びで戦いなどしないタイプだ。
ゆえに仲間であるQ期に害をなすものは同じモーニング帝国剣士だろうと容赦しないのである。
それを理解して怯えるアユミンに気づいたサヤシは、ドヤ顔で大見得を切る。

「刀は心で振るうんじゃけぇ。
 ダンスも心で踊るんじゃけぇ。
 ヒロシマ女の根性……えっと教えたるけぇ。」



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いつの間にかアユミンは涙を流していた。
これからの自身の未来を考えると涙がこぼれてこぼれて止まらないのだ。

「勝ちたかったなぁ……」

そうポツリと呟くと、アユミンはサヤシたちに背を向けて
城の方を目掛けて一目散に走っていった。
つまりは逃走だ。この勝負に勝ち目は無いと思い、白旗を振ったのだ。
この決断は切り込み隊長であるアユミンのプライドを深く傷つけることとなった。
もしもエリポン戦での消耗が無かったら、もしも胸の傷がなければ、もしも膝が痛まなければ
ひょっとしたらサヤシと良い勝負が出来たかもしれない。
たが現実はこうなのだ。
今の状態でサヤシに挑んだらほぼ確実に敗北するだろう。
いや、敗北では済まず、殺されてしまうかもしれない。
アユミンだって自身の信念を貫き通したかった。
ハルナン団長にも「信念だけは貫き通せ」と励まされたこともあった。
でも、それでも死にたくないのだ。
死して守る矜持よりも生きることを選んだ自分が恥ずかしくて恥ずかしくて、アユミンは号泣しながら逃げていく。
そして、サヤシもそれを追うことはなかった。

「サヤシ?追わんでええの?」
「アユミンはなかなか冷静で、ちゃんとツルツルのところを走っとるけぇ。
 ウチが追いかけてもスベって転んでおしまいじゃろ。それに……」
「それに?」
「ウチが行ったらエリポンは一人になりよる。その怪我で単独行動は危険じゃ。
 その、一応、ギリギリ、本当に一応、エリポンはともだち……じゃけぇ。
 だから義理として守ってやらんこともないっていうか……」

気恥ずかしそうに言うサヤシにエリポンはクスッとする。
確かに今のエリポンは動くのも一苦労だ。
友達になった記憶は全くないが、感謝の気持ちをサヤシに伝える。

「ありがとうサヤシ。でもね、エリは大丈夫。」
「そんな!敵は天気組だけじゃないのを知っちょるんか!?」
「分かってる。だからサヤシはフクのところに行って欲しい。」
「!」
「エリが敵の立場ならフクを真っ先に倒すよ。3, 4人はぶつけるかな。
 エリは少し休めば大丈夫。やけん、サヤシとカノンちゃんの2人で守ってあげて!」
「エリポン……!」



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