同時刻、訓練場近くの通路では犬と猿が喧嘩していた。

「くそっ……すばしっこい犬だなぁ!」
「ププとクラン!ちゃんと名前で呼んで。」
「くそっ……すばしっこいププとクランだなぁ!」
「よし。」

サユキ・サルベは二匹の小型犬ププとクランに手を焼いているようだった。
リナプーのように動きがゆっくりな相手ならば神経を研ぎ澄ますことで透明化を見破ることが出来るが
ププとクランは廊下中を縦横無尽に駆け回るために集中することが難しい。
小型犬ゆえに噛み付きの威力自体はさほど無いが、これが蓄積していくのは危険だろう。
現状を打破するため、サユキはジュースを出し惜しみせず使用することにした。

「よし、ジュースで乾杯だ。」
「お、バナナジュース?」
「レモンジュースだよ!!」

チャチャを入れられながらもサユキはジュースをゴクリと喉に通していく。
即効性抜群のジュースはすぐさまサユキの身体にある変化をもたらす。
その効力とは「身体が軽く感じる」というもの。
マロがアヤチョ戦でレモンジュースを飲んで喜んだように
サユキも自身が軽くなることが何よりも嬉しい。
これで毎朝サウナスーツを着てランニングをする必要はなくなった。

「身体が軽い……こうなった私は重力を消せる!!」

地面をバシッと蹴ると、サユキはふわりと浮いてしまった。
まさに「AH こうして無重力」。
とは言っても本当に重力を消したというわけではない。
長年鍛えたカンフー(自己流)の蹴りの力強さによって
身体ごと宙へと浮かせたのである。
自身を軽いと思い込んだサユキはぐんぐん高く上昇し、
やがて天井へと到達する。

「ここだ!ハァッ!!」

いつの間にか靴を脱いでいたサユキは、足の指で天井に設置された照明をつまむことに成功する。
通常の人間ならばそんなこと出来ないだろうが
カンフー(自己流)を極めた達人サユキならば可能なのだ。

「信じられない……」
「どうだ!犬はこんな高いところに登ってこれないでしょ。」
「似てるとは思ってたけど、本当にお猿さんだったんだ……進化できなかったの?」
「おいっ!!」



◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ 



「思ったけど、そっちも私に攻撃できないんじゃないの?」

リナプーの言う通り、天井の照明にぶら下がるサユキの攻撃は下には届かない。
ヌンチャクを目一杯伸ばしたとしても子犬どころかリナプーの頭にすら到達しないだろう。
投てきのように武器を投げればヒットするかもしれないが、球数は1発のみなので後が無くなる。
ゆえに、今のサユキには何も出来ないとリナプーは考えたのである。
だがその程度はサユキも想定済みだ。

「当たるよ!こうすればね!」

サユキは照明を掴んでいない方の足で天井を思いっきり蹴り付け、
その勢いで人間大砲のようにリナプー目掛けて飛んで行った。
クマイチャンの流星ほどの迫力や威力はもちろん無いが、
同時にヌンチャクをブンブン振ることで十分なほど強力な特攻になっている。
この攻撃法を見るのは初めてだったので、リナプーは対応に遅れてしまう。

「いやっ!!」

逃げようとしても完全には避けきれず、リナプーの右肩はヌンチャクによる強打を受ける。
普段は透明化しているために、まともに負傷するのは久々だったのか
リナプーは必要以上に痛がってしまう。
だがその悲痛さが、かえってププとクランを燃え上がらせた。
主人に害をなす猿を退治するため、怒りながら二匹で突進したのだ。
小型犬とは言え、捨て身の体当たりを二発も貰ったらカンフー(自己流)の達人でもひとたまりもないだろう。

「でも、それは届かないよ。」

二匹が衝突するよりも速く、サユキはまたもや地面を蹴った。
理由は宙へ舞うことなのは言うまでもない。
サユキの得意戦法はヒットandアウェイ。
それも「天井」という安全圏から仕掛けるのだからタチが悪い。
高木に登って優位を主張する猿のように、サユキ・サルベは敵を見下すほどに強くなる。

(うう……さすが猿、次の行動が読みにくい……)



◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ 



数年前の合同演習プログラムでは、リナプーとサユキは同じ班に属していた。
そのため互いに認識はあったのだが、当時と今とでは戦闘スタイルが異なるので
まるでまったく違った人間と戦っているような感覚に陥っている。
過去のリナプーは犬を使わず素手で戦っていたし、サユキもジュースは飲んでいなかったのが主な違いだろう。
では何故リナプーよりもサユキの方が有利に戦いを進めているのか。
それはリナプーの強みである透明化術を知っていたからに他ならない。
リナプーはマロから教わった「道端タイプ」と言われるメイクを日頃からしているのだが
その化粧には「私を見るな」という本能に訴えかけるメッセージがサブリミナル的に刻まれている。
つまり姿の見えない彼女を見ようとすればするほど、脳が感知を拒否する仕組みという訳である。
それを知っていたサユキは、リナプーを見ることをはなから諦めていた。
そしてその代わりに音を聴くことに集中したのだ。
サユキには絶対的な音感が備わっているとは言えないが、KASTの中では非常に優秀な方であり、
ボイスを聞き分けるトレーニングを欠かしたことは一度もなかった。
かつて帝国のサユ王が世話になったトレーニング講師が、最近果実の国に来て指導をしているというのも役立っているだろう。
つまりサユキは「見ざる」代わりに「聞かざる」ことはしないことでリナプーの居場所を突き止めたのである。

(犬の音まで聞き分けるのは大変だけど、空にいたら問題ないよね。
 身体が軽くなった私に敵はいないんだ!)

音を聞き分けられて、且つ空間も自在に操るサユキを切り崩すのは困難だろう。
だがそんな彼女にも突け入る隙は存在した。
それは自慢気で、思ったことはなんでも口にしてしまう性格ゆえに
「言わざる」ことまでは徹底できなかった点にあった。

「番長ってのも大したことないね。強いのはアヤチョ王くらいかな?」
「……なんで王の話が出るの?それにマロさんだってアレでなかなか強いし。」
「え?マロさんならさっきアヤチョ王にボコボコにされてたけど。」
「!?」



◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ 



姿は見えないが、リナプーが動揺するのは感じ取ることが出来た。
掴み所のない彼女の精神を揺さぶる唯一の手段であると判断したサユキは、
連絡担当として、作戦室で起きたありのままを伝えることにした。

「びっくりでしょ、アヤチョ王はこの城に来てたんだ。
 そして、ハルナンを裏切ったマロさんに激怒して、容赦なく切り捨ててたよ。
 他の番長たちも許さないって言ってた。怖いね。ウチのユカニャ王とは大違い。」

一国の王が自国の戦士たちに斬りかかるなんて普通はあり得ないが
アンジュ王国のアヤチョ王ならやりかねないと、リナプーは納得する。
むしろそうなって当然だろうとも思っていた。

「じゃあ、私も王にやられちゃうってことか」
「そうとも限らないんじゃない?」
「え?」
「アヤチョ王は裏切り者を許さないんであってさ、
 だったら裏切るのを辞めれば不問なんじゃないかな。」
「私がマロさんじゃなくて、王の方につけばいいって言ってる?」
「そう。」

サユキは戦闘に飢えてはいたが、あの時のようにリナプーとまた共闘したいとも思っていた。
隊長こそ居ないが、サユキ、リナプー、ハルが組めば「73隊」の復活だ。
当時最強の小隊だった「ゴールデンチャイルド」と呼ばれたフクやタケを、
73隊で倒せる日が来ると思うとワクワクしてくる。
リナプーを倒すよりも、味方につける方がずっと楽しいとサユキは考えたのだ。
ところが、リナプーの返答はノーだった。

「辞めとく。今日はマロさんにつくわ。」
「なんで!?マロさんはもう戦えないんだよ!つく意味ないじゃん!
 そんなに尊敬してるってこと?ちょっと意外……」
「いや、全然尊敬してないけど」
「え、じゃあなんで。」
「教えてもいいけど、これみんなにバラしたら怒るよ。」
「バラさない。」
「……カナナンが、タケが、メイが必死だから。それだけ。」

そう言うとリナプーは四つん這いになりだした。
特に脚部の負傷は見られないのに立つのを辞めたので、サユキには不思議に思えた。

「何やってるの」
「決着を急ぐ理由が出来た。本当はやりたくなかったけど、早く王を止めなきゃ……」



◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ 



サユキはリナプーの感じが何か変わったことには気づいたが
聴覚から取り入れる情報だけでは、具体的にどう変化したかまでは分からなかった。
いくらサユキが音を聞き分ける訓練をしたと言っても、
相手の心理状態や考えなどを読み取ることは不可能なのである。

(ダメだ、考えるのは苦手……私は私のできることをやるだけだよね!)

サユキは天井を蹴飛ばし、リナプー目掛けて落下する。
この攻撃は当たろうが外れようが大した問題ではない。
ヒットすればもちろんそれは嬉しいのだが、
例え外したとしても、もう一度天井に上がって、また下がればいいだけの話だ。
AH このままエンドレスさ、何度も何度も繰り返し天(井)まで登れ!
ブラックバタフライ、ブラックバタフライのように軽くなった自分は、
蹴りによって生じる風に吹かれてゆらりゆられて大空へと飛んでゆける

(根気と根気の勝負だよ!リナプーが急ぐってんなら全力で邪魔してやる!)

想定していた通り、サユキの初撃はリナプーには当たらなかった。
姿は見えないが、おそらくは直撃寸前で回避したのだろう。
もちろんそんな簡単に行くとは思ってなかったので、次当ててやろうと気持ちを切り替える。
ところが、ここでサユキの耳に異音が入ってくる。

(来てる!……2匹の犬か!)

サユキが地に着くタイミングでププとクランは体当たりを仕掛けていた。
また上に登られる前にぶつけてやろうと、虎視眈々と狙っていたのだ。
これが決まればリナプーに時間を与えることが出来る。そう2匹は考えていた。
しかし、カンフー(自己流)の達人サユキにはそれすらも通用しなかった。

「見くびられたもんだね。私が消せるのは重力だけじゃないよ。
 どんな力だって消せるんだ!!」

サユキは右手をププに、左手をクランに当て、衝突するタイミングで勢いを殺すように手を引いていた。
どんな攻撃でも当たる瞬間に対象物に逃げられたら威力は半減してしまう。
以前トモがタケを殴ろうとしたときも、この技術を応用したのである。
カンフー(自己流)は凄い。まさに攻防一体の万能格闘技だ。
その気になれば脚が地にぶつかる際の衝撃を消すことで、無音で走ることだって出来る。
アヤチョ戦でマロもレモンジュースを飲んでいたが、
「身体を軽く思い込むジュース」はカンフー(自己流)と組み合わせてこそ真価を発揮するのである。

(これで犬は私を邪魔出来ない。あとはゆっくりリナプーを倒すだけ!!)



◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ 



もう一度天井へと跳びあがろうとした時だった。
子犬2匹ではない、それらとは全く異なる足音が聞こえるのをサユキは感じる。
2匹よりも速く、そして大きな足音は耳に入れるだけで恐ろしい。

(なんだこの音!?ひょっとして、3匹目の犬か!!)

新たな足音は小型なププとクランと比べて、明らかに「大型犬」だった。
かと言って機敏さに劣るわけではなく、スピードも据え置きだ。
このまま激しい勢いを保ったままサユキにぶつかるつもりなのだろう。

(私には力を消す技術がある。でもこの力強さ……消し切れるか?)

突如現れた援軍であるために、サユキには情報が不足していた。
いくらカンフー(自己流)に自信が有るとはいえ、このまま考えなしに突っ込むのは愚の骨頂だろう。
ならば少し様子を見ればいい。
サユキには自分の身体ごと天井へと連れて行く蹴りがあったのだ。

(しばらく観察させてもらうよ!えいっ!!)

空という安全圏がある限りサユキは優位に立つことが出来る。
好きな時に攻撃できて、好きな時に休めるなんてまるで理想郷だ。
だからこそ、「3匹目」はその理想郷を破壊することにした。
走りの勢いを全て上方向に変換し、サユキのいる天井へと飛び上がったのだ。
姿の見えにくい3匹目が迫ってきているなんて思いもしないサユキは、
無防備のまま横っ腹を食い千切られてしまう。

「ぎゃっ!!!!」

強烈な痛みを感じたサユキは思わず地へと落下する。
まさに猿も木から落ちるといった感じだ。
ププとクランがサユキを待ち構えているがその必要はない。
何故なら3匹目が渾身の突進をするだけで事足りるからだ。

「ひぃっ!!」

サユキは何をされたか分からないうちに地へと落とされ、
なにをされたか分からないうちに体当たりを貰い、
そのまま身体を壁にぶつけられてしまった。
全身打撲ゆえにもう立つこともままならない。
サユキは精一杯の力で顔を上げて、
いつの間にか透明化の解除されていたリナプーを見上げながら言葉を発する。

「リナプー……私は何をされたの……」
「教えない。」
「私を噛んだ犬はどこ?姿も音も無いんだけど……」
「教えない。」
「リナプー?なんでリナプーの口は血だらけになってるの……?」
「教えない!私もう急ぐの!!」

そう言うとリナプーは2匹の犬を連れて作戦室の方向へと走っていった。
自国の王、アヤチョをどうにかして止めるためだ。



◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ 



「ハルナン、待って!」

フクとサヤシは作戦室へと向かうハルナンを追いかけていた。
ハルナンさえ止めれば全ては終わる、そう信じて走っているのである。
あとちょっとで追いつくといったところで、フクは少し動きを止める。
もちろん、ただ停止した訳ではない。
お得意の移動術で一気に距離を詰めるために、下半身に力を入れだしたのだ。

「フク・ダッシュ!それならあっという間じゃ!」
「うん、私が抑えつけてるからサヤシも早く来てね。」

ハルナンが帝国剣士団長とは言っても、戦闘能力はフクに相当劣っている。
そこにサヤシまで加えたら完全に制圧することが出来るだろう。
それをフクとサヤシは十分理解していた。
そして、フクの背後に迫っている存在もそのことをよく分かっていた。

「させるかっ!!」

その存在の正体はハル・チェ・ドゥーだった。
手柄を総取りするため虎視眈々とチャンスを狙っていたハルが、
このタイミングでフクの背中に飛び蹴りをかましたのだ。
体重差ゆえにダメージは無いに等しいが、突然の一撃ゆえに体勢を崩してしまう。
こうなってはフク・ダッシュでハルナンを追う願いは叶わない。

「ハル!……私たちの邪魔をするというの?」
「邪魔?それどころじゃ済みませんよ。 二人の首、取りに来たんで。」
「……本気で言っちょるんか? 誰を前にしてそんな口が叩けるんじゃろうか。」
「……」

実際、ハルの感じる威圧感は半端なものではなかった。
相手はQ期組団の団長とエースの二人だ。怖くないはずがない。
だが、今日のミスを帳消しにするにはこれくらいのことをしないと釣り合わないのである。
それに、一人で二人を倒すわけではない。
ハルにだって味方はいる。

「紹介します。ハルの仲間、アーリーちゃんです。
 断言しますよ。アーリーちゃんはフクさんを完全無効化する力を持ってます。
 だから、ハルがサヤシさんさえ倒せばこっちの勝利なんだ。」
「ほぉ、一騎打ちなら勝てると?」
「はい、サヤシさんの決定的な弱点、知ってますよ。」
「なんじゃと……」



◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ 



柱の陰に隠れていたアーリーは、ハルの言葉に驚いていた。
確かに自分の力なら敵を拘束することが可能だが、
その相手がフクほどの達人であれば上手くいく保証が全くないのだ。
そんな不安そうなアーリーに対して、ハルが目配せをする。

(アーリーちゃん、やるしかないんだ。ハルが手本を見せてやるから見てな!!)

ハルは「タケゴロシ」と名付けられた竹刀を取り出しては、素早い速度でサヤシに斬りかかる。
天気組でハルナンが「雨の剣士」、アユミンが「雪の剣士」、マーチャンが「曇りの剣士」と呼ばれているのに対して、
このハル・チェ・ドゥーは「雷の剣士」と賞されている。
その強さの秘密は圧倒的なまでの「手の速さ」だ。
他の剣士らが扱う金属製の剣と比べると、ハルの竹刀は非常に軽い。
ゆえに振りのスピードは目視が困難なまでに速くなっている。
一撃一撃の威力はもちろん弱いのだが、その代わりハルは雷撃のような連打を実現しているのだ。
ピシャリピシャリといった破裂音もカミナリを彷彿とさせる。

「どうだサヤシさん!ハルの本気を受けきれるか!!」
「チッ、相変わらずうっとおしいのぉ……」

正直言ってこの攻撃でサヤシが簡単に負けることはありえないが、
さっさと片付けてハルナンを追うために、フクも助太刀することを決める。

「待っててサヤシ!今助けるね!」

ハルの背中はガラ空きなので、そこに装飾剣「サイリウム」で切りつければ対処は完了だ。
フクとハルの実力差を考えればそれは容易に終わるはずであった。
しかし、ハルの勇敢さに感銘を受けたアーリーが突進してきたからこそ、上手くはいかなくなる。

「か、覚悟~~~!!」
「!?」

アーリーはフクに攻撃を仕掛けるでもなく、ただ抱きつきにやってきていた。
戦場でいきなりハグされたので、フクは正常な判断が出来ず、それを受け入れてしまう。
普段であればこんな美少女に抱きつかれるのはフクにとって喜ばしいことなのであるが、
アーリーのそれはそんなに良いものではなかった。

「ハルさん!私がフクさんを止めます!!」

そう言うとアーリーは全身全霊の力を込めてフクの骨を折りにかかった。
まるで万力のような圧迫感に、フクは激痛を感じてしまう。

「うぁっ……こ、この力は……」

アーリーは戦闘能力で言えばトモ、サユキ、カリンには遠く及ばない。
しかし、その怪力さに限って言えば誰もが認めるNo. 1だった。
一度ハグさえ成功すれば、食卓の騎士クラスの相手だろうとグルングルンに回してみせるだろう。



◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ 



アーリーによる圧力は凄まじいが、決して耐え切れないレベルのものではなかった。
そこいらの兵であれば簡単に骨を折られてしまうのだろうが
フク・アパトゥーマは全モーニング帝国剣士の中でNo.2のパワーを誇っているために
抱きしめられる内側から押し込むことによって、ある程度耐えることが出来るのである。
しかしそれでもアーリーの腕を振りほどくことまでは出来ないし、
この状態をキープし続けるだけで疲労が溜まってくる。汗も滝のようだ。
せっかくタケとの戦いでの体力を回復したというのに、このままではまた消耗してしまう。

「フクちゃん!」

事態が緊迫しているフクへと目を向けるサヤシだったが
その瞬間、自分の鼻先を竹刀がかすめたので慌てて視線を戻す。

「余所見している暇なんてないですよ!」
「くっ……」

ハルは片手間で応対していい相手ではない。サヤシはそう認めざるをえなかった。
非力ゆえに決定力はゼロに等しいが、息をつかせぬ振りの乱打はなかなか馬鹿にできない。
もちろんサヤシの居合刀「赤鯉」の刃を竹刀に当てればそれだけでぶった切れるのだが
剣士というよりは剣道家のハルは小手や胴を狙ってくるのでそれも難しい。

(あくまで鍔迫り合いはしないつもりか……だったら!)

サヤシは足の力を一気に抜き、背中から床へと落ちた。
もちろんこれは降伏の意思表示などではない。得意のダンスでハルを翻弄しようとしているのだ。
ブレイクダンスの要領で自身に回転を加え、敵の背後に回りこめば切り込むことが出来る。
回転力の加わった居合いを受ければ、体の弱いハルはひとたまりもないだろう。
たったそれだけでサヤシはフクの元へ助けにいけるはずだった。
しかし、このタイミングで何故かハルまでも体勢を低くしたことでサヤシの思惑は外れることになる。

「そう来ると思いましたよ、サヤシさん」
「……!?」

ハルは寝っ転がったサヤシの肩の上あたりに掌を強く叩きつける。
この状態はまるで「床ドン」。
覆いかぶさるように、ハルはそのベイビィフェイスをサヤシの顔に近づけていく。

「焦らないでくださいよ、ゆっくりやりましょう?」
「ひ、ひ、ひやああああああああああ!」

ハルの考えるサヤシの決定的な弱点。それは異性に対する免疫力の低さだった。
異常なまでのストイックさゆえに居合いの達人として成長してきたのだが、
その代償か、男性とまともに話した経験が家族と親戚くらいしかなかったのだ。
よって、ハルが男性的な面をちょっとでも出せばこうも簡単に崩れてしまう。

「サヤシさん可愛いですよ、刀を捨てればもっと可愛いかも。」
「ひゃ、ひゃい……」



◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ 



フクとサヤシは絶体絶命だった。
敵対するアーリーとハルはどちらも格下だというのに、相手のペースに完全に飲まれてしまっている。
こうも容易くリードを許す時点で、修行が足りていないのかもしれない。

「サヤシさん、さぁ、刀を床に捨てて。」
「……」

顔が火照って、頭がボーッとするサヤシは言われるがままに居合刀を置いてしまった。
刀は剣士の命だというのも忘れるくらいなのだから、よほど正常な判断が出来ていないのだろう。
それを見たハルはニヤリとした。
ここでサヤシの刀を奪い取ることを彼女は躊躇しない。罪悪感も感じない。
目の前のチャンスをただ見逃す方が戦士として二流以下だと考えているからだ。

(まともにやり合ったらサヤシさんには太刀打ちできない。それは認めるよ。
 でも使えるものを全部使えばハルだって勝てるんだ……この勝負、もらった!)

ハルはサヤシに覆いかぶさったまま刀を掴み、相手の脇腹へと突き刺そうとした。
手入れの行き届いている名刀なので、ほんの少し力を入れるだけでバターのように肉を切ってくれることだろう。
そうすればサヤシは戦闘不能、ハルの勝利……となるはずだった。
突然の乱入者が現れるまでは。

「させん!」

その者はこちらに走ってきては、刀を掴みかけたハルの手を思いっきり踏んづけた。
骨に異常をきたしたハルは激痛のあまり絶叫し、刀を奪うどころじゃなくなってしまう。
そして乱入者はそのまま走りを止めず、フクを拘束するアーリーの元へと急ぐ。

「え?え?……なんですか?」

アーリーが戸惑うのも構わず、その者はフクを縛る腕をギュウッと掴みだす。
そして信じられないことに、果実の国No.1の怪力の持ち主であるアーリーの腕をフクから剥がしていったのだ。
自分より力強い人間を見たことがないので、アーリーの混乱は益々促進する。

「やめたってください!誰!!誰なんですか貴方は!!」

アーリーは知らないようだが、ハルにはその正体が分かっていた。
そしてもちろん、フクとサヤシも彼女をよく知っている。
フクよりパワーのある帝国剣士はその人しか存在しないのだ。

「誰って?通りすがりの魔法剣士っちゃん。」
「「エリポン!!」」



◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ 



エリポン・ノーリーダーの登場に、フクは感謝の気持ちを抱かずにはいられなかった。
アーリーに抱きしめられていたままならサヤシを救うことが出来ず、ひどく後悔していたかもしれないからだ。

「エリポン……来てくれてありがとう!」
「エリはフクの右腕やけんね。いつどんな時でも助けに来るよ。」

そう言うと、エリポンはサヤシの方に視線を向ける。
己を恥じてうつむいてしまっている同期に、にやけながら声をかけるのだ。

「ちょっとサヤシー?結構ピンチやなかったー?」
「う、うるさい!」
「ガッカリさせんでよ。そんなもんだった?サヤシの実力は。」
「分かっちょる……もう、相手に飲まれたりしない。」

この状況にハルは危機感を覚えていた。
単純に敵の数が増えたというのもピンチなのだが、
それ以上にハルのハニートラップもアーリーの拘束も通用しなくなったことがまずいのだ。
特に、サヤシが完全に正気に戻ったのが痛すぎる。
おそらくはエリポンが居る限りは決して崩れたりはしないだろう。

(くそっ!アユミンのやつ、足止めに失敗したのか……
 エリポンさんも結構負傷しているみたいだけど、2対3でどうにかなるのか!?)

1人現れることでこうも形成が変わるなんて思ってもなかったので、ハルは冷や汗をかいてしまう。
そして不安に思っているのはアーリーも同じだった。
どうしていいのか分からずに、棒立ちのままハルの方をチラチラと見ている。
そのような焦りを感じ取ったのか、たたみ込むようにフクが鬨の声をあげだす。

「よし!3人で協力して2人を倒そう!みんなで力を合わせれば必ず勝てるよ!」

フクの言うことが正しいことは誰が聞いても明らかだった。
敵であるハルとアーリーでさえ不安に押しつぶされそうになっている程だ。
3人のチームワークを見せつければあっという間に制圧できることだろう。
だが、サヤシはフクの指示に反対だった。

「違うじゃろ。フクちゃん。」
「えっ!?」
「ここはウチとエリポンが抑える。だからフクはハルナンを今すぐ追いかけて!」
「!!」

サヤシの言葉にはエリポンも同感だ。
口には出していないが、その自信気な表情が物語っている。
カノンがフクの盾ならば、エリポンとサヤシは二本の刀。
その刀が主を先に行かせてくれると言うのだから、フクは信じるほかない。

「分かった!……任せるよ、二人とも。」
「「おう!」」



◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ 



ハルとアーリーはフクをみすみす通すことしか出来なかった。
追いかけようとしても、エリポンとサヤシがプレッシャーをかけるので簡単に阻止されてしまうだろう。
だが、ハルはある意味ではこれをよしとしていた。
自分たちの目的は「フクを倒すこと」や「ハルナンを守ること」ではなく、「フクの票を減らすこと」だ。
ならばフクを深追いせずとも、目の前の2人を確実に仕留めることが出来れば十分。
もっとも、それが難しいのだが……

(ハルさん!ハルさん!)
(どうした?アーリーちゃん。)

アーリーがハルに対してアイコンタクトを送り出した。
女性に対する気配りバッチリなハルは、それを100%解読することが出来る。

(このエリポンって人には私の力が通用しません!
 だから戦う相手を交換しませんか?サヤシさんならまだ抑える自信があります。)
(ダメだ!それはダメだ!)
(えっ、どうしてですか?)
(エリポンさんにはハルのイケメンパワーが全く効かないんだ……
 何故なら自分が一番カッコいいと思ってるからね。)
(そんな……!)

強靭な肉体を持ち、且つ自意識過剰気味なエリポンは2人の天敵とも言える存在だった。
また、エリポンの登場によって気を張り詰めたサヤシだって簡単な相手ではない。
2対2である限りは不利なのである。
では、どうするべきかというと。

(エリポンさんは怪我をしている!アユミンが残した成果だ。
 そこを一気に突こう!)
(二人掛かりってことですね!)

ハルとアーリーは同じタイミングでエリポンに飛びかかった。
手負いのエリポンを奇襲でさっさと片付けて、その次にサヤシを倒そうという策なのである。
だがハルは焦りのためか大事なことを忘れていた。
本気を出したサヤシはモーニング帝国剣士の中で「最速」であることを。

「これ以上好きにさせるかっ!!」

サヤシは不意打ちにも戸惑うことなく、ハルにの左脚にスライディングによる蹴りをぶつけた。
線の細いハルが突然の横槍に耐えられるはずもなく、その場で転倒してしまう。

「しまった!」

二人掛かりでエリポンに仕掛けるはずが、アーリー単騎で突っ込む形になってしまった。
すぐにでも続きたいハルだったが、それは無理な話だ。
激昂したサヤシが今すぐにでも刀を振り下ろそうしているのだから。

「安心せい、命までは奪わん!!」
「ひっ!!」



◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ 



サヤシの思想は変わりつつあった。
はじめは「自分たちに危害を与える者は殺してでも止める」というスタンスであったが、
今では「命まで奪う必要はない」と考えるようになった。
実際に食卓の騎士クマイチャンと対峙することで、死の恐怖を存分に味わったからこその変化だろう。
しかしいくら考えが変わったとしても、刀を振るう感覚まではそう簡単に変わらない。
ゆえに、元来の殺人剣をいかに弱めるかという点においてサヤシは苦労していた。

(これくらいか?えいっ!)

居合刀は一瞬にしてハルの胸を傷つける。
研ぎ澄まされた名刀による一撃なので、当然ハルは激痛を感じる。声も出ない。
だが上記の理由もあってか、斬撃がやや鈍っていたのがハルにとって不幸中の幸いだった。

(めっちゃ痛い!涙が出そうだ……でも生きてる!
 ハルの竹刀捌きでサヤシさんの刀を打ち落としてやれば勝てるんだ!)

ハルは寝っ転がった姿勢のまま上半身を起こし、
サヤシの小手に竹刀「タケゴロシ」を思いっきりぶつけようとした。
居合術こそ怖いが、刀さえ無ければ戦力を大幅に落とせるとの判断だ。
ところが、ハルが打った先には既にサヤシは居なかった。

「え!どこに……」
「後ろじゃ!!」

ハルが起き上がろうとする一瞬の隙に、サヤシは背後に回りこんでいた。
ダンスで鍛えた足捌きを活用すればこれくらいは容易い。
ましてや相手がハルのような若輩者であれば、威圧されてパフォーマンスを妨害されることもほとんど無い。
相手はクマイチャンではないのだ。
あれほどのプレッシャーを経験した今、サヤシはちょっとやそっとでビビったりはしない。

(刀は加減が難しいけぇ……じゃけん蹴りならどうじゃ!!)

サヤシはボールをキックするように、ハルの頭を思いっきり蹴飛ばした。
エリポンのようにスポーツが得意だったり、カノンのようにローキックに長けていたりする訳ではないが、
後頭部への強打が効くのは当たり前。
ハルは目が飛び出るような痛みを感じ、更に耐え難い吐き気まで催してしまう。

「ぐうっ……ハァ…ハァ……くそっ!苦しい……」



◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ 



二人掛かりで飛び込んだはずが、気づけば自分一人だったためアーリーは焦りだす。
しかも標的であるエリポンはひどく好戦的な目をしている。
今更謝ったとしても逃してはくれないのだろう。
もっとも、逃げる気などさらさら無いのだが。

「どうする?力比べでもする?またエリが勝つっちゃけど。」
「それはしません!負けるのは嫌です。」
「ふぅん、じゃあ何をするって?」
「私本来のスタイルで戦わせてもらいます!!」
「ほぉ……」

アーリーが背中から取り出したのは二本で一組のトンファーだった。
右手と左手の両方に持つこの武器を、彼女は「トジファー」と名付けている。
トンファーを構えることによって、ただでさえ大柄のアーリーのリーチが更に伸びたので
エリポンは巨大な籠に囲まれたような感覚に陥ってしまう。

「なるほど動けん。エリ、閉じ込められとる?」
「はい、女性ならハグして拘束するんですが、男性にはいつもこうしてます。
 男の人に抱きつこうとするとメンバーに怒られちゃうんで……」
「いや、エリは女っちゃけど。」
「わー!そういう意味じゃないんです!あなたにはハグは効かないなって思っただけで……」
「いい、いい、分かっとるから。」

アーリー自身はこんな調子であるが、戦術自体は脅威だとエリポンは感じていた。
右に動けば右にトンファーを、左に動けば左にトンファーをぶつけてくると予測されるので、
エリポンはまったく動かずにアーリーを仕留めなくてはならない。
しかもエリポンのすぐ後ろには廊下の壁が迫っているため、後方移動だってさせてもらえない。
そして面倒なことに、此の期に及んでアーリーがまた奇妙なことをし始める。

「ジュースで乾杯!」
「は?……」

アーリーは他のKAST同様にジュースを飲むのだが、エリポンにはその意味が分からなかった。
だがそれがただの水分補給ではないことには勘付いている。

(ドーピングの類?この子が筋力強化とかしたらやばかね……)

となればエリポンの採るべき策は先手必勝しかなかった。
ドーピングが効く前にアーリーを斬り倒すのが最も有効だと考えたのだ。
エリポンの打刀「一瞬」による斬り込みの速さはその名の通り一瞬だ。
師匠の音速には届かなくても、それに近いだけの速度は出すことが出来る。

「お腹、ガラ空きっちゃん!!」

アーリーは両手を大きく広げていたため、胴体に隙があった。
そこに高速の刃を打ち込めば早々に決着はつくだろう。
ところが、自信満々に振られた一撃はアーリーには通用しなかった。
音速寸前の打刀より速く、右手のトンファーが護りに来ていたのだ。

(えっ!?速すぎる……!!)

ぼーっとしているように見えて俊敏なガードを繰り出すアーリーにエリポンは面食らう。
そして速いのはガードだけではなかった。
空いている方の左トンファーが既にエリポンの胸へと接近している。

「しまっ……」

今しがた攻撃体勢に移ったばかりのエリポンがすぐに防衛に回れるはずもなく、
シュルシュルと回転したトンファーを胸にぶつけられてしまう。
そう、アユミン戦で斬られた胸を更にえぐられてしまったのだ。



◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ 



アーリーの飲むジュースはメロンジュース。
マロが以前飲んだように、「どんな些細な動きも捉える眼」を得る効力を持っている。
視野が著しく狭くなるのが玉に瑕ではあるが、範囲内の動きは絶対に見逃さない。
例えエリポンが高速の斬撃を繰り出そうと思っても、アーリーは筋肉の動きから攻撃の初動をキャッチ出来るのだ。
こうなればスピードはまったく意味をなさなくなる。
どんな技だろうと発動する前に防御してしまうのだから。

「大人しくした方がいいですよ。抵抗しても無駄です。全部防ぎますから。」
「くっ……」

エリポンにはアーリーの防御術のカラクリは分からなかったが、単調な攻撃が通用しないことは理解できた。
となればお次は魔法だ。
各国のスポーツを取り入れたエリポンの魔法ならばアーリーを出し抜けるかもしれない。

「喰らえ!風の刃!!」

エリポンは床が砕けるような勢いで、打刀「一瞬」を足元に叩きつけた。
これはアユミンを攻撃した時のように、アイスホッケーを応用したもの。
どこから飛んでくるのか予測困難な攻撃ならば通用すると考えたのである。
ところが、これは悪手だった。

「魔法?ホッケーですよね、それ。」
「!?」

同じKASTのトモがアーチェリー競技を嗜んでいたことから分かるように、
果実の国では(アンジュ王国ほどではないが)スポーツが盛んだった。
アーリーもアイスホッケーには疎いが、エアホッケーなる遊戯は得意中の得意。
自身に破片が到達するよりも速く、右手のトンファーで打ち返してしまう。

「そりゃーー!!」

細かな破片とは言え、それら全てが勢いよく自分の身体に返ってきたので
エリポンは血反吐を吐いてしまう。
アユミンとの戦いのダメージも残っているため、どんな微弱な攻撃も致命傷に思えるのだろう。

「言ったじゃないですか!だから大人しくしましょう。」
「ハァ……ハァ……なんで?」
「え、何がですか?」
「なんで、君は自分から攻撃を仕掛けんと?さっきから受け身ばっかやん。
 エリ、こんなに虫の息なのに……チャンスと思わんの?」
「!」

エリポンの指摘にアーリーはドキリとした。
そして、エリポンはその表情の変化を見逃さない。

「なるほど……付け入る隙、そこにあるかな?」



◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ 




アーリーはエリポンが視野の外に出ることを恐れていた。
メロンジュースで一時的に発達した「眼」ならば敵の動きを全て把握できるが、
何らかの拍子で相手を見失えばその通りではなくなってしまう。
いくら優秀な眼を持ったとしても、見えないものまで見ることは出来ないため
アーリーは常に相手から眼を離さない体勢を取り続けなくてはならないのである。
余計なことをせず、ただ相手を囲むことだけに専念する……
それが完全なるディフェンスの条件だったのだ。
そして、エリポンはなんとなくだがその事に気付き始めている。

「さすが果実の国の戦士。さすがの防御力っちゃん。やけん、弱点あるね。」
「!!……弱点、ですか?」

全ての攻撃を事前に防ぐアーリーではあるが、音速の攻撃までは防ぐ事は出来ないとエリポンは見抜いていた。
「音速の攻撃」とは言っても、師匠のように本当に音の速さで刀を振ることを指しているのではない。
エリポンは文字通り「音」。つまりは「声」で攻撃しようとしているのだ。
両手を広げた体勢ではアーリーは耳を塞ぐことは出来ない。
ならば精神的に追い詰めるような言葉を防ぐ手段はないということになる。

「君のやり方だと1人しか相手に出来んよ?エリしか囲めない。」
「十分です!エリポンさんを抑えるのが私の役目ですから!」
「ほんと?すぐ後ろからサヤシが刺そうとしとるけど。」
「!?……」

エリポンの言うことはでまかせだった。
あわよくばアーリーの注意を逸らせるかもと思って言ったのだ。
しかしまだ幼くてもさすがは戦士。恐怖こそ感じても決して後ろは振り向かなかった。
エリポンを抑えるのが役目、という言葉に嘘は無いようだ。

「ごめん今のは嘘。サヤシは来とらんよ。」
「はぁ……良かった。」
「でもね、そんなにビビったってことはハルが負けてると思ったってことやない?」
「え!?いや、その……」
「君の防御、凄いよ。でもそれは強いお仲間がいたらの話。
 いつもは果実の国の戦士たちと共に戦っとるんやろ?そりゃ信頼できようね。
 でもぶっちゃけ、ハルって信頼できる?」
「出来ますよぉ!」
「あの子、帝国剣士の中で最弱っちゃけど?」
「えっ……」
「ほら、君からは見えんかもしれんけど、今もこうしてサヤシにボコボコにされとる。
 うわ痛そう……泣いてる、可哀想可哀想」
「嘘をつかないでください!もう騙されませんよ!!」
「それが、今のだけは嘘じゃないんだよなぁ……」



◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ 



エリポンの言う通り、ハルはサヤシにやられてボロ雑巾のようになっていた。
後頭部を強打された後に鳩尾への蹴りを3発も入れられ、
そうしてうずくまっているうちに自慢の木刀まで切断されてしまった。
それでも意地を見せようと手ぶらで立ち向かったが、
刀の峰で思いっきり鼻を叩かれて、大量の鼻血を流してしまう。
プライドの高いハルにとって、痛みよりも己の不甲斐なさが何よりも辛い。

「こんなに……こんなに遠いのかよ……」

サヤシと自分との距離が想像以上に離れすぎていたことに、ハルはショックを受ける。
受け入れがたいがこれは現実だ。
肩書き自体は同じモーニングを帝国剣士であるが、
実力にはこれだけの開きがあったのである。
そして、ハルはこれより更なる追い討ちをかけられることとなる。

「ハル様とサヤシ様が決闘している!こんな廊下で……」
「エリポン様もいるぞ!!」
「な、何が起きてるんだ!?」

ゾロゾロと大挙してやったきたのは、先ほどハルが結成したサヤシ捜索隊だった。
何やら騒々しかったのでやってきたのだが、
まさか帝国剣士同士が戦っているなんて思いもしなかったのでみながみな驚いている。
そして、ハルにとって己の無様な姿を見られるのが耐えがたい屈辱だった。
普段馬鹿にしているジッチャンら男性兵に嘲笑われているような気がして、顔が真っ赤になってくる。

「み、見るなぁ!!ジッチャン達あっち行けよ!!」
「でもハル様!お怪我が……」
「うるさいうるさいうるさい!!お前ら全員どこかに消えろ!!命令だぞ!!
 上官の言うことが聞けないのかぁぁぁぁぁ!!」

そして、物音に釣られてやってきたのは男性兵達だけでは無かった。
その者たちは、壁の向こうの隠し部屋からハルを心配そうに見守っている。

「ドゥーさん可哀想……出来ることならすぐにでも助太刀したい……」
「無駄よクールトーンちゃん、あなたサヤシに勝てないでしょ。」
「そうですね、サユ王様……」

モモコとクマイチャンの戦いを見終えたサユ王とクールトーンの二人は、次の見学先としてここを選んでいた。
サユはアーリーの眼を使った戦いを見せたいと思って来たのだが、
予想外に帝国剣士の恥部に直面してしまったので、ポリポリと頭をかく。

「ハルのダメなとこ出ちゃってるわね……クールトーンちゃん、アレでもカッコいいと思う?」
「思います!弱いのにサヤシさんに立ち向かう姿勢とか!」
「弱いって言っちゃってるじゃん」
「あわわわ、違うんです。」
「違わないわ。そもそもハルの魅力はカッコよさなんかじゃないの。
 クールトーンちゃんも、そしてハル自身もそこには気づいてないみたいだけども。」
「魅力……なんだと思うんですか?」
「かわいさ。」
「真面目にやってください!!」
「いやいや真面目よ大真面目。」



◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ 



泣きじゃくるだけならまだしも、一般兵らに当たり散らすハルの姿はあまりにも見苦しかった。
そして、サヤシ・カレサスはその態度にひどく憤っている。
モーニング帝国剣士に選ばれる者は例外なく一騎当千の実力を持つと言われているが
それにあぐらをかいて、あたかも自分が神の如き存在と錯覚するようでは三流だ。

「上に立っていいのはサユ王ただ一人じゃけぇ……勘違いも甚だしい。
 もう喋るな。喚くな。ハルが表に出るだけで帝国剣士のイメージが下がりよる。
 じゃから、ここで寝てろ。」

サヤシは腰につけた鞘に手を当て、居合の準備を始めた。
殺すつもりは無いが、穏便に済ますつもりもさらさらない。
これは脅しなどではないことは誰の目にも明らかだった。

(サヤシさん……マジかよ……)

腰の抜けたハルは避けたくても避けることが出来ない。
ゆえに、これから起こりうる悲劇を想像すると更に涙が溢れてくる。
そうして怯えた結果、ハルが絞り出したのはたった一言の懇願だった。

「……助けて、お願い。」

今更命乞いをしてももう遅い。サヤシの抜刀はもう止まらない。
ハルの薄皮を切り裂くために、居合刀は走り出している。
これさえ決まればもうハルは生意気な口を聞けなくなるだろう。
だが、サヤシは一つ勘違いをしていた。
「助けて」の言葉が自分への嘆願であると思い込んでいるが、
そのメッセージは実は他の人物へ送られたものであり、
その人物もしかと受け取ったことをサヤシは知らなかった。

「ハル様!危ない!!」
「!?」

ハルを護るために刀の前に立ちはだかったのは一人の男性兵だった。
実はこの人物は先ほどハルに竹刀で滅多打ちにされた老兵であり、
そんなハルを護るために立ち上がったのである。
意外すぎる邪魔者の登場にサヤシは慌ててしまう。
このままだと無関係の老兵を殺してしまうかもしれないので、必死に刃の軌道を修正する。

「な、なんじゃあ、いきなり!」

幸いにも斬撃は老兵の太ももを傷つける程度で済んだが、
目の前にはサヤシにとって信じられないような光景が広がっている。
なんと、ハルに馬鹿にされていた男性兵たちが集結して
ハルを護るように囲んでいたのである。

「ハル様を泣かせる者はサヤシ様でも許せません!」
「どうしてもと言うなら我々を全員倒してからにしてください!」
「ハル様のお役に立つのが我々の使命ですから!!」

サヤシは大混乱し、ハルもキョトンとしている。
帝国剣士同士の戦いに一般兵らが割って入ることなんて前代未聞。
それも嫌われていると思われたハルの側につくのだから事態は複雑だ。
だが、実情は案外シンプルなもの。
みんながみんな、ただハルを護りたいだけなのである。
小生意気だけど、ハルは可愛いのだから。

「ジッチャン達……ありがと。」

ハニカミながらも礼を言うハルを見て、彼らの士気は最高潮になる。



◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ 



「これはいったい?……」

一般兵らの参戦にクールトーンは驚愕していた。
事情も何も知らぬであろう彼らが、サヤシ相手に立ち向かうことが驚きなのだ。
この光景を分析したサユが、クールトーンに語りだす。

「ハルは力が弱いし、刀剣も振れない、体力だって並以下。
 おまけにすぐに怒ったり泣いたり、性格も酷いもんよね。
 じゃあ、そんなハルが何故帝国剣士に採用されたと思う?」
「カッコよくて……可愛いから……ですか。」
「そう、男女問わず従えるカリスマ性こそハルの強み。
 おそらくは城内のほとんどがハルに味方したいと思っているはずよ。
 クールトーンちゃんだってそうでしょ?」
「はい!大好きです!」
「そう、その好きという感情はなかなか馬鹿にできないの。
 本当のファンなら自分がどうなったとしても、ハルを第一に考える。
 怒鳴られても、竹刀で殴られても、帝国剣士のエースを敵に回したとしても
 やっぱりハルのことが好きだから、ハルが可愛いから味方しちゃう。
 これは驚異であり、脅威よ。普通は真似できない。」

サユの発言には説得力があった。
ハルに限らずサユだって人気あるため、命をかけても惜しくないと思う者は大勢いるだろう。
サユ王が居なくなればきっとロスってしまうに違いない。
だが、クールトーンには一つ不安があった。

「でも、それで本当にサヤシさんに勝てるんでしょうか……」
「クールトーンちゃん、戦いは"数"よ。」
「えっ、でも一般兵が何人いたって帝国剣士には勝てないんじゃ……」
「そうね。黄金剣士やプラチナ剣士の時代はそうだったかもね。
 でも、悲しいことに今のは帝国剣士の力は弱体化してる。
 一騎当千でなんとかなる時代は終わったの。
 そういった意味では今の帝国剣士の三強はフク、ハルナン、そしてハルなのかもね。」
「え!サヤシさんやアユミンさんじゃなくてですか?」
「フクは国を愛するがゆえに多くの愛国兵の士気を高めることが出来る。
 ハルナンは他国から味方を大量に引っ張ってくる才能があるわね。
 そしてハルにはカリスマ性がある……これからの帝国を牽引するのに、この3人は欠かせないはず。」
「ドゥーさん凄いなぁ……さすがだなぁ……」
「とは言えサヤシがこのまま黙っているとは思えない。どうなるのか見ものよ。」
「はい!」



◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ 



サヤシはちょっぴり落ち込んだ。
兵がハルの方にばかりつくので、自分には人望が無いのかもと思ってしまったのだ。
だが、そんなサヤシももう気持ちを切り替えている。
この状況に対処するには冷静でなければならないのだから。

(親衛隊を一瞬で結成するその能力は正直羨ましいのぉ……
 じゃけど、ウチの腕っぷしなら恐るるにたらんけぇ。)

サヤシの実力は抜けているが、それは決して個対個に限った話ではない。
個対多だろうとサヤシは強いのだ。
この事実はサユの「戦いは数」発言に矛盾しているように聞こえるかもしれないが、そうではない。
相手が数百数千であればサユの言う通りだが、今現在ハルについた男性兵らは数十人程度。
しかも念密な策の練られていない烏合の衆であれば、やりようはいくらでもある。

「まずは……3人。」

サヤシは最も近くにいる兵士に飛びかかり、到達すると同時に横っ腹に刀をぶつけだした。
峰打ちとは言え、サヤシほどの達人の振りからなる鉄棒の強打は激痛では済まない。
ボキバキといった音を鳴らしながら、兵はあばらを折り、倒れていく。
そしてサヤシの侵攻はこれでは留まらない。
またも近くにいる相手に対して、逃げ足よりも速く二撃目三撃目を繰り出していく。
派手な骨折音を鳴らしながら、あっという間に3人をのしてしまったサヤシに一般兵らは当然恐怖する。
このようにあえて悲痛な音を聞かせることによって、恐怖で足を止めてしまうのがサヤシの狙い。
この世の流れが一騎打ちから多勢での戦いに変遷していっているのは百も承知。
だからこそサヤシは相手が複数でも戦えるように努めてきたのである。

「怖すぎる……あれが帝国剣士エースの実力か……」
「俺たちの力ではハル様を守れないというのか!?」

たった3回の振りで敵の士気を下げたサヤシはさすがだった。
ハルだって閉口している。
だがハルが黙っているのは敗北を認めたからではない。
サヤシを倒す策をじっくりと考えていたのだ。

「ジッチャン達……怖くて動けない?」
「申し訳ありません……お守りしたい気持ちをは有るのですが。」
「じゃあ、許可する。」
「え?」
「サヤシさんを触るのを許可する。 胸でも、脚でもどこでも触っていいよ。」
「は?……」
「責任はハルが全部取ってやるって言ってるんだ!!
 お前達、サヤシさんを好きに触っちゃえ!!
 さっさと動け!上官の言うことが聞けないのか!!」

ハルの突拍子のない発言に一般兵らはポカンとしてしまった。
そして他でもないサヤシ・カレサス自身が、何が何だか分からないような顔をしている。

「え?え?ハル……今なんて言ったの?」



◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ 



冗談のようなことを言うハルだが、その表情は真剣そのものだった。
涙を拭って、ビシッとサヤシを指さすその姿勢に「嘘」などないことは明白だ。
こうなってくると兵らの士気は俄然あがってくる。

「うぉおおおおおお!!!」

男性兵らはハルの親衛隊だが、サヤシのことだってもちろん大好きだ。
自分たちにとってモーニング帝国剣士は雲の上の存在であるために、普段は手を触れることも恐れ多いが
今回に限りどこを触ってもOKだとハルが約束してくれている。
こんなチャンスは二度とないと断言しても良いだろう。
ならば達人の剣捌きに恐れおののいている場合ではない。特攻すべきは今なのだ。

「行くぞ!俺はやってやるぞ!!」
「させるか!サヤシ様に触るのはこの私だ!」
「いやいやこの俺が!!」

サヤシは絶句した。
屈強な男たちが自分の身体目当てで飛び掛かってくることは恐怖でしかなかった。
居合刀を握る時は「足を切られても構わない」「腕を落とされても構わない」といった覚悟で臨んでいるが
それとこれとでは話は別だ。
剣士である前に女性である自分を守るために、サヤシはなんとしてもこの局面をしのがなくてはならない。

「ば、ばかああああ!!」

顔をリンゴのように真っ赤にしてはいるが、剣の腕前はやはり確かだった。
自分に触れようとする愚か者たちに一発ずつ強烈な打撃をお見舞いしていっている。
しかしいくら敵の数を減らしても、残った兵らの士気が落ちることはなかった。
何が起きようと揺るがない目標は、烏合の衆だった彼らに力を与えてくれたのだ。
この思いの強さは、優位に立っているはずのサヤシをジリジリと消耗させていく。

「うそ、やだ、それだけはお願い、やめて……」

サヤシが極限まで精神をすり減らしたその時、雷は発生する。
その正体は天気組団の「雷の剣士」であり、親衛隊の指揮官であるハル・チェ・ドゥーだ。
男性兵の陰に隠れてサヤシの近くまで接近していたのである。
自分がサヤシの意識の外にいる今がチャンスであると、竹刀を構えている。
この竹刀は親衛隊が用意してくれた予備のもの。手入れはハルが自分で行う以上に万端だ。

(行くぞサヤシさん!これが本当の本当の最後の一撃だ!
 狙うのは"小手"じゃない。それじゃあ意識を断ち切れない。
 そして"面"でもない。サヤシさんの眼力で避けられちゃうだろう。
 だから!ハルが打ち込むべきは!)

ハルは腕と脚にグッと力を込めた。
非力な彼女が力を入れたところでたかが知れているかもしれないが、
決着をつけるための道しるべはジッチャンら一般兵らが作ってくれた。
指揮官ハルは期待に応えるため、電撃のごとき速さでサヤシへと竹刀をぶつける。

「"ドウ"!!!!」



◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ 



「……ッ!!」

ハルの一撃はサヤシの腹にズシンと響いた。
通常であればこれくらい耐えきることは容易いのであるが、
いかんせん今は他に集中せざるを得なかった。
ゆえにハルの胴打ちに意識を飛ばしてしまう。
仮の話にはなるが、サヤシのお腹にもう少しだけ脂肪がついていればそれが防具の代わりになったかもしれない。
つまるところサヤシは細すぎたのだろう。

「やった……ハルが、ハルが勝った!」

絶対的な強者への勝利に、ハルは痛む拳をぎゅっと握った。
それだけにこの一勝が嬉しいのだ。
だがすぐに、自分一人で得た白星ではないことに気づく。

「ジッチャン達のおかげ、だよ。」

ハルはハニカミながら男性兵達に礼を伝えた。
彼らも雄叫びをあげながら今回の勝利を喜んでいるようだ。
始めは自分らの将の勝利に興奮しているかもと思ったが、
よく話を聞いてみるとそうではなかった。

「よし!これでサヤシ様はもう動けない!触りたい放題だ!」
「あぁ!責任は全部ハル様がとってくれるらしいからな!」

ハルは開いた口が塞がらなかった。
そして男の劣情を軽蔑するように怒鳴り散らす。

「ダメだダメだ!サヤシさんに指一本触れることはこのハルが許さないからな!!」
「ええ!?話が違うじゃないですか!」
「ハルが勝ったんだからその約束はおしまいなんだよ!普通わかるだろっ!」
「しかし……」
「上官の言うことが聞けないのか!もう口を聞いてやらないぞっ!」
「ぐ、ぐぅ……」

ハルは元よりサヤシの身体を男性兵に触れさせるつもりはなかった。
サヤシの剣術ならば当然凌ぎ切れると信じていたし、
勝利後はハルの鶴の一声でジッチャン達は止まると踏んでいたのだ。
そして実際にその通りになった。
ハルに「口を聞いてやらない」と言われたら彼らは従うほかないのだ。

「まったく、早くアーリーちゃんに加勢しなきゃならないってのに……」

ハルは同志であるアーリー・ザマシランのことを気にかけていた。
彼女の作り出す檻はどんな相手だろうと拘束するが
ジュースの効果が切れたら動体視力が戻ってしまって危険な状態になると聞いていたのだ。
まだタイムオーバーには遠いが、早期に助けるにこしたことはないとハルは考える。

だが、すでに遅かった。

「ハル、ちょ~っと調子乗りすぎやなかと?」
「そ、そんな……」

ハルの目の前に立っていたのはエリポンただ一人だった。
血まみれになってはいるが、怖い顔をしてハルを睨みつけている。
そしてその足下には、刀で斬られたような傷を負ったアーリーがゴロンと倒れていた。

「うそ、だろ……どうやってアーリーちゃんの檻から抜け出したんだ……」
「決まっとぉやん、エリの実力、で。」



◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ 



ハルがサヤシを討ち取る数分前。
何があっても体勢を崩さないアーリーにエリポンは難儀していた。
いくら耳障りの悪い言葉を聞かせても、顔を歪めるばかりで檻を解除しようとはしない。
むしろその意志の強さにエリポンの方が参っているくらいだ。

(この子、言われたことはキッチリとやり遂げるタイプか……
 自分でアレコレ考える敵よりも、こういう子の方がやりにくいっちゃね。
 しょうがない、ここは力技でぶち破るしかない。)

エリポンは一気に腰を落とし、アーリーの膝下に斬りかかった。
軽さが売りの打刀「一瞬」が振り下ろされる速度はとても速い。
そしていくらアーリーの腕が長いとは言え、トンファーによる防御はここまで届かないとエリポンは考える。
しかしアーリーの眼はエリポンの初動をしっかり捉えていた。
そのため、エリポンと同じタイミングでしゃがみこみ、不意打ちの刃を防ぐことが出来る。
しかもアーリーのトンファー「トジファー」は二本で一組。
左手のもう一本はエリポンの脳天をカチ割ろうと前進していた。

(やっぱりそう来る!?ならば!)

高速で迫るトンファーを回避することは難しい。
よって、エリポンは避けることを諦めた。
とは言ってもただで受ける気はさらさらない。彼女は頭突きで止める気だ。
トンファーがぶつかるポイントを頭頂部から額にズラす程度の猶予ならある。
後は覚悟を持って、気合いを入れれば耐えることが出来るのだ。
そしたらアーリーだって少しは怯むかもしれない。

「全部、見えてますよ。」

アーリーは衝突直前にトンファーの軌道をちょびっとだけ下げた。
狙いを頭ではなく鼻へと転換したのだ。
鼻への強打を受けたエリポンはたまらず後ずさりしてしまう。
明らかに骨は折れているし、鼻血は多量に吹き出ている。
結果的にエリポンは攻めきれず、反撃まで受ける形になってしまった。

「ぐ……」
「無駄です。血を見るのはあなただけです!」
「馬鹿にしてっ!」

エリポンは悔しくてたまらなかった。
打ち負けたからではない、アーリーが追い打ちをかけないことが悔しいのだ。

(エリにはそこまでする必要が無いってことやろ?
 確かにエリは弱い。アユミンにも競り負けとった。
 でもね、この刀だけは本物やけん……負ける訳にはいかん。)

エリポンは手に持つ刀をジッと見る。
この打刀「一瞬」は彼女が愛してやまない元帝王が使用していたもの。
どうしようもないエリポンに戦いの全てを叩き込んでくれた恩師から譲り受けたのだ。
師のためにも、刀のためにも、エリポンはこれ以上負けを重ねる訳にはいかない。

「使ってみるか……」
「何を、ですか?」
「ガキさんの技を!」



◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ 



エリポンは刀を鞘に入れ、アーリーをキッと睨みつける。
いつでも刀を抜けるこの構えは「居合術」のもの。
それがアーリーにはすぐ分かった。

「分かりますよ。居合ですよね。」
「うん、今から君を斬る。」
「そんな大事なことを教えてもいいんですか?」
「関係なかよ。これから出す技は分かっていても避けられん。」

エリポンはガキの超高速剣技を繰り出すつもりだった。
素早い振りであり、且つどこを狙うのか直前まで分からないために避けるのは難しい。
もっとも、居合の心得がなくてはこの技を扱うことは出来ないのだが、
幸いにもエリポンは「居合の達人」の剣技を間近で見る機会が多くあった。

「サヤシ、借りるよ!」

エリポン一人の力では師匠には及ぶはずがない。
だがしかし、同期のサヤシの剣術をイメージすれば近くまで迫ることが出来る。
持ち前の筋力と、華麗な居合術。
その二つが融合したからこそエリポンはガキを再現してみせたのだ。

「上段・飛流!!!」

鞘から解き放たれた刃は、上方向にあるアーリーの胸へと一直線に突っ走っていく。
抜刀の調子は上々、重力にも負けずどんどん加速していくのが手にとってわかる。
そして重要なのが、アーリーがトンファーによる防御をしていないということ。
剣が速すぎてガードが間に合わなかったのだと、エリポンは予測する。

「どうだ!これがガキさんの……」

想定通りならばここでアーリーを斬り捨てているはずだった。
だがおかしい。
刃が胸に届くよりも速く、エリポンの両肩に激痛が走っている。

「え!?……こ、これは……」
「諦めてください、全部見えてるんです。」

エリポンの肩を壊したのは、刀が放たれるより先に振り下ろされたトンファーだった。
右肩にトンファー1つ、左肩にトンファー1つ。
つまりはアーリーは両腕を使ってエリポンを攻撃したのである。
彼女には本当に全てが見えている。
筋肉の微妙な動きだけではない。眼球や、呼吸する口の動きだってキャッチしているのだ。
ならばどのタイミングでどこに攻撃するのかは手に取るように分かる。
アーリーの眼がそれ程までに優れていると思わなかったエリポンは、
上方向からの振り下ろしに勝てず、崩れ落ちてしまう。



◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ 



エリポンの視界は暗くなりつつあった。
確かに自分の技のキレはガキと比べてまだまだなのだろうが
こうも通用しないのかと思うと気が滅入ってくる。

(せっかく大見得切ってフクを助けに来たっていうのに、ダサすぎっちゃん……
 アユミンにも勝てない、この子にも勝てない……ダメダメすぎない?
 そういえばサヤシが言っとったっけ、Q期の次期団長がエリなのはありえんって。
 ……まったくその通り。返す言葉もない。こんなダサい団長がおったらいかんよね。)

この時エリポンは完全に勝利を諦めていた。
自分の力ではアーリーの檻をブチ破ることが出来ないと認めたのだ。
これまで痛む身体をなんとか支えてきていたが、心が折れればそうもいかなくなる。
床にグッタリと倒れこみ、瞳を閉じていく。

「こっち終わりましたよ!ハルさん大丈夫ですか!!」

エリポンが目を瞑ると同時にアーリーはハルのいる後方へと振り向いた。
これが、エリポンにとっての最後の好機となる。
アーリーはエリポンが確実に気を失うのを確認してからハルを見るべきだったのだ。
だが彼女にはそれを待ってられない理由があった。
先ほどエリポンに言葉責めで不安感を煽られた結果、ハルが気になってしょうがなかったのだ。
アーリーがエリポンから眼をはなしたということは、即ち檻が解除されたということ。
いや、檻とか関係なく剣士に背中を向けることは自殺行為だ。
エリポンは閉じかけの目に光りが差し込んできたことに気付く。

(うわ、背中ガラ空き……ここで斬ったらイチコロやない?
 でも、そしたら帝国剣士のプライドが……)

エリポンは一瞬のうちに激しく葛藤した。
自分は敗北した身。
そんな自分が勝者に卑怯な手で斬りかかるのはいかがなものなのだろうか?
それは敗北よりも惨めなことではないだろうか?

(いや違う!エリ自身の使命を思い出せ!!)

エリポン・ノーリーダーの使命。
それはQ期団団長フク・アパトゥーマを「刀」となって護ることだ。
刀が何故メンツを守る必要があろうか?
刀が何故プライドを気にする必要があろうか?
何も気にすることはない。フクに抗う敵を斬り倒せば良いのだ。
使命を果たすためにエリポンは立ち上がる。

「下段・降羅」
「えっ?」

エリポンは下向きの刃で、アーリーの両方のふくらはぎを斬りつける。
突然の凶刃に対処できるはずもなくアーリーは膝をついてしまう。

「戦闘中に余所見はいかんよ!」
「しまった!まだ息が……!」

アーリーはまた檻を作ろうとエリポンの方へと身体を向けるが
負傷したふくらはぎがそれを許さなかった。
拘束がはじまるよりも高速で、エリポンは追撃する。

「中段・野田ぁぁっ!!」
「あ゛あ゛あ゛ぁぁぁぁ!!!」

エリポンは満身創痍だが、最後の中段斬りの勢いはなかなかだった。
アーリーの胸を深く傷つけ、地に寝っ転がらすことに成功する。

「ダサくてごめんね。でもこうしなきゃ勝てんのがエリの実力ったい。」

ここでアーリーを斬ったが、敵は1人ではないのは百も承知だ。
すぐにサヤシとハルの方へと視線を向ける。
その時がまさにサヤシがハルに倒されたところであったのはショックだったが
心の動揺を悟られないように、戦況を少しでも有利にするために、挑発をする。

「ハル、ちょ~っと調子乗りすぎやなかと?」
「そ、そんな……」

ハルは面白いように狼狽していた。
怖い顔で睨みつけたのと、実際にアーリーが倒れ込んでいるのが効いているのかもしれない。
戦士として勝利したとは口が裂けても言えないが、
これは自分の実力なりにアレコレ手を尽くした結果だ。
ここは堂々と胸をはろうとエリは決意する。

「うそ、だろ……どうやってアーリーちゃんの檻から抜け出したんだ……」
「決まっとぉやん、エリの実力、で。」



◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ 



サヤシを撃破して上り調子なハルだったが、
満身創痍ながらも不穏な空気を漂わすエリポンに完全に気圧されていた。

(全身血だらけだってのになんてオーラだよ、ジッチャン達だって怖がってるじゃん
 またサヤシさんを倒した時と同じやり方でいくか?……いや、ダメだろうな。
 エリポンさん、きっと何をされても止まらないはず……)

身体に触れていいという理由で男性兵たちをけしかける作戦は通用しないと、ハルは気づいていた。
そもそもサヤシとでは性格が違いすぎるという理由もあるが、
今の鬼気迫ったエリポンならば多少触られたところでまったく動じないと考えたのだ。
第一、当の老兵たちがエリポンに近寄るのを恐れている。
斬り捨てられたアーリーのようにはなりたくないと誰もが思っているのだろう。

(どうすればいい!?ハルが直接ガチンコで相手するのが正解なのか?
 ジッチャン達抜きで……勝てるか?
 やばい、分からない、今のエリポンさんはまったく分からない!怖い!
 どうしよう、近づいてきてる、早く決めないと!ハルはどうすればいい!?
 助けて!助けてよ、アーリーちゃん!)

極限まで追い詰められたハルは、あろうことか倒れているアーリーにすがってしまっていた。
ゾンビのように詰め寄ってくるエリポンのことがそれだけ恐ろしかったのだ。
本来であれば戦士としてとても情けないことであるのだが
結果的に、それが正解であることにすぐに気づかされることとなる。

「戦闘中に余所見はいけませんよ!」

その声が聞こえた途端、ゴッという鈍い音が聞こえてくる。
音の発生源はエリポンの右足のすね辺り。凶器はトンファーだ。
被害者エリポンは何が起きたか分からないような表情をしながら、その場に倒れこむ。

「!?」

エリポンも、ハルも、ジッチャン達も驚愕してはいるが、何も驚くことはない。
この場にトンファーを武器として扱う人物はただ一人しかいないのだから。

「アーリーちゃん!生きてたんだ!」
「ギリギリですけどね……もう、ダメかもです……」

エリポンの足を破壊したのは、地べたに這いつくばっているアーリー・ザマシランだった。
胸を斬られて気を失っていたように見えたが、最後の力を振り絞って打撃を繰り出したのだ。
この不意打ちが卑怯だと呼べないことはエリポンが最も痛感している。
何故ならそれはさっき己がやった行為とそっくり同じだからだ。だからこそ悔しい。叫びたくもなる。

「あああああああああああああ!!!!!」

いくら力んでも、いくら凄みを効かしても、壊れた足は動かない。
エリポン・ノーリーダーははフクを守る刀としての役目を果たせぬまま、心半ばに力尽きてしまう。



◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ 



土壇場でエリポンを倒したアーリーは、今度こそ本当に気を失ってしまう。
刀による負傷がひどくて、もう戦えるほどの力が残っていないのだろう。
結果的にこの場で最後まで立っていたのは、ハル・チェ・ドゥーと男性兵たちのみとなった。

「ハルたち、勝ったのか……」

勝者であるハル自身も心身ともに疲労しているため、出来れば床にペタンと座り込みたいところだったが
フクを討つという大事な使命を果たすまではそうも言ってられなかった。

(票数を減らすって意味じゃエリポンさんとサヤシさんを倒せたのは大きい。
 でも、このままハルナンがフクさんにやられたら厳しいぞ……)

アユミンが敗北したのは明らかであるし、
マーチャンとオダ、そしてカノン・トイ・レマーネの動きもハルは気になっていた。
自分の知らないところで味方が軒並みやられていたとしたら、せっかくの戦功がパーになってしまう。

(結局、フクさんを追わざるを得ないんだよな。
 ハルはやれる。今の勢いならなんだって出来る気がする。
 でも、ジッチャンたちはどうする?)

これからの戦いは、帝国剣士の団長同士によるものへと突入するだろう。
我が軍の最高指揮官である二人の決闘を一般兵に見せてよいものかとハルは悩んでいた。
自分らとエリポン、サヤシが血を流しあっているのを見られただけでもギリギリだというのに
フクとハルナンの争いを目の当たりにされたら、その時に生じる不信感は相当のものになると予測される。
出来ればここからはハル一人で行動したい。
しかし、ハル一人じゃ戦力になるかどうかも怪しい。

(どうすりゃいいんだよ……連れてくか?置いてくか?)

こんな風に困惑するハルの耳に、とある呻き声が入ってくる。
それは床に横たわっているアーリーから発せられたものだった。
その苦しみの表情を見てハルは気づかされる。
何故自分は彼女をここまで放っておいていたのかと。

「ジッチャンたち!命令だ!」

男性兵たちはハルに注目した。
彼らには、ハルの言うことならどんなことも聞く覚悟が出来ていた。

「エリポンさん、サヤシさん、そしてアーリーちゃんを医務室に連れて行くんだ。
 3人とも結構な重体だからね、そっと運ぶんだぞ。でも急いでよね。
 あとこれ大事!ぜったい変なところ触ったりするなよ!
 もしそんなことしたら絶交だからな!!」
「「「はい!」」」

そこからの彼らの動きは迅速だった。
さすが日頃から訓練されているだけあって、タンカの用意などは手慣れている。
この分なら大事には至らなさそうなのでハルも一安心だ。

(問題は、ジッチャンたち抜きでやらなきゃならないことか……)

後ろ盾が無いと思うと途端に怖くなってくる。
しかしだからと言って逃げるわけにはいかない。
すぐにでもハルナンに加勢するために、ハル・チェ・ドゥーは一人で走り出していた。



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